RADIOHEAD

このところ僕が買うディスクといえば、次から次へと出てくるザ・フーのリマスター盤(突然発掘されたオリジナル・マスター・テープから新しくマスタリングされた何枚目かの『フーズ・ネクスト』だの『トミー』のCD/SACDハイブリッド盤だの)とか、ボブ・ディランの一連の作品のCD/SACDハイブリッド盤とか、まったくレコード会社が僕の世代の半端なオヤジたちに金を使わせようと照準しているまさにその狙い通りに操られていると認めざるを得ないものばかり。何にせよやはり結局のところそれらは買うしかないのだが、おかげで新しいミュージシャンのものまで購入する余裕はさすがになく、何年か前はそれでも時々はレコード屋の試聴機で名前を知らないミュージシャンの音をチェックしたりしていたのだが、いまやそんな時間もなく、音楽雑誌も読まなくなったので(『サウンド・アンド・レコーディング・マガジン』だけはだいたい毎号読んでいるが、これは機材のこととかを知りたいので、僕はあの雑誌で主にとりあげられているような音楽にはあまり関心がない)、どんな動きが音楽の世界に起こっているのかもほとんどわからなくなってしまった。

 

 しかしRADIOHEADの来日公演には行きました。まず文句から書くが、驚いたのは幕張メッセという会場の劣悪さ。『恐竜博』で行ったときは問題なかったが、コンサート会場としては劣悪の一言だ。オールスタンディングでブロックの区切りも大まかなので、単にでかいライヴハウス状態で、後方からはステージなど全く見えない。僕の周りに立っていた小柄な女の子たちも「全然見えないね……」とため息をついていた。一人7500円も払わされて、可哀想に。たぶん、会場にいた半数近くの人間は、トム・ヨークの姿を30秒以上目撃することはできなかったのではないだろうか(僕がときどき背伸びをして、豆粒ほどのメンバーたちをかろうじて見るのがやっとだった)。踊るための音楽なんだから仕方がない、席が決まっているコンサート会場ではかえって興ざめだという声もあるだろうが、しかしそれがステージ上が全然見えなくてもよいという理由になるわけもない。そんなことがあっていいわけがない。

 それでも僕がどうにか満足して帰ってこられたのは、ひとえにレディオヘッドの演奏が完璧だったからに尽きる。CDのように作り込まれてはいなかったが、それでも想像を超えてタイトなグルーヴの上にエフェクティヴな音響をうまく散りばめて大きな会場を包みきっていたし、「イラクで拘束されていた2人の日本人が解放されました」という即時的なニュース音声を速攻でサンプリングして使ったり、そんなあいだあいだにシンプルな弾き語りっぽい曲が的確に織り込まれて、まったくダレない、飽きさせない。最高度に完成度の高い、しかもハイ・テンションなパフォーマンスだったと思う。

 これまでレディオヘッドというバンドは、僕にとってとらえにくいものだった。僕は彼らの音楽がとても好きだが、カッコイイ、美しい、よくできているとは感じても、そこにえもいわれぬ驚きや目が眩むような新鮮さを感じたことはなかった。今回もやはり、そういう感覚を得たわけではない(そんなものはどこにもないのかもしれないが)。けれども、シンプルな轟音ロックの『パブロ・ハニー』から名作『OKコンピューター』を経て、わずか数年で『KID A』以降の孤高の領域に到達し、さらにその先を開拓し続けようとする彼らの本気さは、CDよりずっと生々しく感じられて、改めて今後の作品も聴き続けなければならないという気にさせてくれた。親しみやすいくせに、決して60-70年代の懐古趣味ではなく、聴く者を引き連れて、どこへ行くのか、どこまで行くのかわからない。そういう思いをくれるアーティストは、現在のロックにはきわめて少ないのではないか。レディオヘッド以外にそんな連中がいるのなら、虫のいい話だが、ぜひ教えてほしい。僕はいつだって、そんな音楽を聴きたいのだ。