東京都における性教育弾圧と「ジェンダー・フリー」

◆子どもたちが性を肯定的にとらえ、自分の身を守り、他者を尊重できるように――。こうした願いのもとに地道な工夫を積み重ねて行なわれてきた東京都における性教育への取り組みが、現在、東京都知事(石原)、東京都教育長(横山)、民主党を中心とする数人の都議会議員、一部のマスコミ(『産経新聞』『週刊新潮』等)、アホな御用学者(高橋某等)たちによる事実のねじ曲げと悪意に満ちた猛攻撃によって、はげしい弾圧を受けている。昨年来、ある都立養護学校では、親御さんと先生たちが協力して支えてきた実践が、これらの人々の結託した動きによって台無しにされている。現場は荒らされ、教材は回収され、多数の教職員が不当に処罰された。何よりも、自らの性を含むカラダについて学ぶことを切実に必要としている子どもたちの事情は完全に無視され、心は踏みにじられた。
 「人びとに自分のアタマを使わせないで、おとなしく権力者の言いなりになる国民を養成する」ことは、こんなところでも着々と進められている。
 上記のような動きについて、みなさんにはぜひ知ってほしい。いったい子どもたちのことを本当に考えているのは誰なのか、誰が君たちをうまくだまそうとしているのか、それをじっくりと考えてみてほしい。こうした陰謀をどんどん進めている三流の政治家や役人たち、臆病で卑劣な大人モドキたちが、どうやって君たちの未来をボロボロにしようとしているのか、そして自分のみみっちい利益だけをむさぼることに夢中になっているのか。
 This is a critical moment.
 →「性教育バッシングをゆるさない人権救済申し立て」HPへのリンク



◆ついに東京都は「教育現場におけるジェンダー・フリーという言葉の使用」と「男女混合名簿」を禁止するという行動に出てきたようだ。「ジェンダー・フリー」が教科書に出てきたら、多様な考え方の一つにすぎないという注釈をつけさせるんだってさ。まさしく「ジェンダー・フリー」ってのこそが、そういう多様な考え方を尊重しようという理念なんだけどね。論理の階層(ロジカル・タイプ)の区別という初歩的な原則さえわからない、「性別」と「性差」と「性役割」の区別もわからない、無知でマヌケな東京都の行政官たちによる、無法な言論弾圧は暴走し続けている。もはや東京都の教員に「言論の自由」はなくなってしまった。絵に描いた餅、としてさえも。
 でも、どうせいつかはこうなるに決まっていたのかもしれない。自分が他人からどう思われているかなんていう根本的には全くどうでもいいことにいつもびくびく震えている若い弱者たちが、他人のことなど全く見ようとはしない石原や横山(東京都教育長)のような恥知らずの老人どもと結びついて、自分の頭でものを考え、発言しようとする賢明な少数者たちを包囲するというこの構図は、昨日や今日に突然できあがったものであるはずがないもの。
 僕は最近、故・星新一「妖精配給会社」をよく思い出す。あの不快きわまりない傑作で星が示した究極のシニシズムに、抗わねばと思いながらも、なんだか妙な疲れを感じたりもするのだ。もちろん、そんな悲観は甘えの裏返しで笑止千万と、わかってはいるのだが。
 さあ、気をとりなおして、いくか。 Strike another match and start a-new. It's all over now, baby blue.