小沢健二『LIFE』

 僕はいまでも時々、小沢健二を聴く。どのアルバムも良いが、一枚を選ぶとすれば、やっぱり『LIFE』。50年代の洋楽以来、長く残るポップスはどこか虚ろで、胸を締めつけるほどではないけれど、心臓の脇あたりにしこりがあるような違和感がある。その痛みとも言えないような微かな痛みが何なのかを知りたくて、何度も同じレコードを聴いてしまうのだ。よしもとよしともが、小沢の「ラブリー」歌詞の一節を引きながら、登場人物――姉のボーイフレンドと隠れてつきあっていたら、その姉が突然死んでしまった女の子――に「やめて、吐き気がする」と言わせていたと思う。そんなささくれだった、しかし決して透明ではない感傷が、1990年代前半の日本を覆っていた。そのただなかで、金をもうけながら、それでももがいていた人たちが、いま何も語り得ないのは、彼らが守ろうとしたあの曖昧な優しささえもが、とっくに踏みつぶされて、粉々になってしまったからなのか。
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