レナード・コーエン、ジェフ・バックリー

 雨が近づいてきた一日。ずっと家の中にいて、『The Essential Leonard Cohen』をBGMに流しながら、原稿の直しをする。モントリオール生まれ、コロンビア大学卒の作家、女たらしの詩人、シンガー・ソング・ライター、禅の修行者。レナード・コーエンの歌はどれも「love song」である。そして、「love song」でしかない。コーエンの歌う「love」には、「愛」「恋」「恋愛」「ラブ」「ラヴ」のどの訳語もしっくりしない。むしろ古い「色」のほうがなんとなく近い感じがする。わかる人にだけわかる喩えでいえば、ロシアのフィギュア・スケーター、とりわけアイス・ダンスのペアが、氷上で燃えたぎるような、鋭い刃物のような色恋沙汰を繰りひろげるさまをみて、嗚呼、日本人にいつかこんな演技ができるようになる日が来るのだろうかと詠嘆するような感覚に襲われる。それがレナード・コーエンの歌、そのすべてである。
 たとえば、"The Stranger Song"の一節。

It's true that the men you knew were dealers
Who said they were through with dealing
Every time you gave them shelter
I know that kind of man
It's hard to hold the hand of anyone
Who's reaching for the sky just to surrender

君が知っていた男たちはカードの配り手で
でも君が安らぐ場所を与えると 誰もが
もうカードは終わりだといった
僕もそんな男を知っている
ただ身をゆだねるために 空に手をのばしている
そんなやつらの手をつかまえておくのは難しい

 すべてがこんな調子で、コーエンの手にかかれば、どれほど埃をかぶったような、ちっぽけな色恋沙汰も、深遠な人生の真実に、魂の啓示に造りかえられてしまう。他に大事なことはないんかいと言いたくなるが、たぶん、そんなものはないのかもしれない。

 けれども、曲が"Hallelujah"になると、どうしてもJeff Buckleyの声が遠く重なって聞こえてしまうのは、ぼくが最初にこの曲を聴いたのがJeffのバージョンだったからだ。
 ジェフ・バックリーの、たった一度だけの来日公演、もう会場も覚えていないが、あれは紛れもない異世界だった。テンションの高い演奏を、ジェフの、厳冬の未明の空気のような声が圧倒すると、観客の誰ひとりとして、物音さえ立てずにただ耳をそばだてている。あのときのジェフ・バックリーは完全にラリっていた。へらへらと薄笑いを浮かべながら、わけのわからないMCを垂れ流し、一瞬の緩みもない演奏と歌をきめていた。それから間もなく、彼が川で溺れ死んだというニュースを読んだとき、薄緑色の濁流が渦巻き、無数の泡を吐き出しながら、無邪気で残酷なひとりの天使をマゾヒスティックに飲み込んでいく光景を思い浮かべた。

I couldn't feel, so I learned to touch
I've told the truth, I didn't come to fool you
And even though it all went wrong
I'll stand before the Lord of Song
With nothing on my lips but Hallelujah!

僕は感じることができなかった、だから触れることを覚えた
僕は真実を語ってきたし、君を騙したりはしなかった
たとえ、すべてが壊れてしまったとしても
僕は歌の神の前に立つだろう
ハレルヤだけを唇にたずさえて