西岸良平

 西岸良平の世界では、世界はいとも簡単に終わる。たとえば初期の「地球最後の日」は――以下ネタバレあり、ご注意を――藤子・F・不二雄の名作「ひとりぼっちの宇宙戦争」と同じ設定なのだが、藤子のほうでは人知れぬ少年の闘いによって人類が救われるのに対して、西岸版では平凡なサラリーマンが人類救済の大役を仰せつかりながら結局失敗し、最後のコマであっさり人類が滅びてしまう。
 西岸良平はずっとそんなまんがを描き続けてきた。もちろんあの『三丁目の夕日 夕焼けの詩』だって、一筋縄でいくわけがない。ノスタルジックに昭和30年代を描いているのは事実だけれど、結構人が死ぬし(しかも結婚前夜の若い女性とか、子どもとか、幸せの只中でこれもあっさり死んでしまう)、多くの登場人物が出口のない貧乏に苦しんでいる。そもそも第1巻ではまだ愛すべき「鈴木オート」や三丁目の人たちは出てこず、中年男の悲哀が歪んだ劇画タッチで描き込まれていた。その鈴木オートの旦那にしたって、戦争に行かされ、南方の戦場で、親友が目の前で爆撃を受け、血まみれになって死ぬのを見てきた人なのだ。『三丁目の夕日』は、そんな傷と毒を潜めた世界の物語である。それゆえにこそ、読者は癒されることができるのだ。なぜなら三丁目というユートピアは、どこにもない場所でありながら、この現実としっかり結びついているからだ。なぜか高校生の時からこの作品を読み続け、全巻読破しているこの私が言うのだから間違いない。
 さて、『三丁目の夕日』をいまから読もうという人は、とにもかくにも第1巻からきちんと読み始めなければならない。そうでなければ、この物語の密度を真に味わうことはできないだろうから。だが、西岸良平とはどういう作家なのかを直観するために、反則で一つの作品を推薦しておきたい。それは、『夕焼けの詩 三丁目の夕日』第20巻の巻末に収められた「コスモゾーン」である。これはSFである。西岸良平は僕にとっては何よりもきわめてユニークなSF作家であるのだが、『三丁目』のシリーズにときたま登場するSFっぽい作品のなかでも、この話は群をぬいた異色作だ。(続く)