Bob Dylan, Chronicles Volume one

 ボブ・ディランの自伝、Chroniclesを少しずつ、電車の中で読んでいる。ちょうど半分ぐらいまで来たところだが、連休中はあまり電車に乗らないので、今はひと休みしているところ。菅野ヘッケルによる邦訳もすでに出ているが、あえて拙い英語力をふりしぼって、原語で読んでいる。語彙の魔術師・ディランの文章だから、ぼくにとっては見たこともない単語だらけだが、それでもかまわない。小学一年生のころ、下校時にはいつも真っ直ぐ家に帰ったりせず、学校のそばの崖の上に広がる林をいつまでも探検していたときのように、ディランの声がふっと立ち上がってくるような瞬間を探して、ゆっくり読み進めているのだ。たとえば、デビュー前の(つまりまだ十代の!)ニューヨークでの自分について語る、こんな文章を。

My mind was strong like a trap and I didn't need any guarantee of validity. I didn't know a single soul in this dark freezing metropolis but that was all about to change -- and quick.
俺の気持ちは罠みたいに強くて、他人からのお墨付きなんかいらなかった。この暗くて凍えそうな都会に知り合いはいなかったけど、それも変わりかけていた―あとほんの少しで。

――シビレマス。
 この本でとても印象的なのは、他人について語るディランの口調の暖かさだ。自伝というよりもむしろ出会った人びとについての異様に細やかな描写が相当の分量を占めるのだが、そこから浮かび上がる像がほんとうにヴィヴィッド(和製英語かも)で、読む者を飽きさせないだけでなく、それらの人びとの魅力がいちいち心に染みてくる。特にDave Van Ronkの人となりや、ラジオから聞こえてきたRoy Orbisonの歌声の衝撃について語る文章などは、老人とは思えない瑞々しさだ。いや、ディランもまた、あの老人ゆえの風狂なる自由を、手に入れつつあるのかもしれない。

 ロイ・オービソンの名は言うまでもなくブルース・スプリングスティーンの「明日なき暴走」でも歌われているが、ブルースがトラックの荷台に乗り込んでオービソンのコンサートを聴きに行くときのことを書いた短い文章も、胸に食い入るような文章だった。オービソンの歌には、確かにそんな力が宿っている。<寂しい者のために歌うロイ・オービソン>――。あの恐ろしい「イッツ・オーヴァー」を一度聴けば、誰にだってその意味はわかるはずだ。