漫画版・神聖喜劇

 大西巨人の超傑作・大長編小説のぞゑのぶひさ作画・岩田和博脚色で漫画化した『神聖喜劇』を読み出したら止まらず、抱え込んだ仕事に押しつぶされそうになりながら、ついつい逃避心が働いて、第2巻までイッキ読みしてしまう。これは渾身の力作といっていい。内容についてはいま到底解説する気力がないが、まだ読んでいない若者諸君はぜひぜひ読んでください。そしてできれば原作のほうも読んでほしい。めちゃくちゃ長くて難しいけど、それ以上に、これほどめちゃくちゃ面白くて、頭脳も心臓も最高に興奮させられる小説はないのだから。夏休みに文庫本全5巻の読破に挑戦してみることを、衷心からお勧めする。縦横に・奔流のように引用される古典文献が読みにくかったら、とりあえず飛ばしながら読み進めてもかまわない。細密をきわめた軍隊描写を通して、透徹した戦争批判・差別批判のメッセージが炸裂していることはもちろんだが、この悲惨な暴力の記述に充ち満ちた一編は、さらにそうした次元を超えて、人間というもののあらゆる面を解剖し尽くす、しかも文字通りの「喜劇」として。驚異的な記憶力と論理性をもって理不尽な軍隊の規律を<脱構築!>しつづける主人公・東堂は、たしかにその戦いを楽しんでいたはずだ。

 漫画版が冒頭に大前田班長による中国大陸での残虐行為の語りをもってきたことには明確な戦略的意図があるのだろう。その決然たる姿勢に、これは本物だと、読む側も力が入る。しかし僕がこの見事なまんが版に一気に引きずり込まれたのは、そのすぐ後、主要な登場人物たちが次々に登場するところだった。原作を読んでぼくが何となく思い浮かべていた顔とは違うのだが、それが「キャラが違うな〜」というネガティブな反応にはなぜかつながらず、「ああ、冬木ってこんな顔だったのか」というような、話には聞いていた人に初めて会ったような感慨が押し寄せてきて、不覚にも一瞬目頭が熱くなったほどであった。それほどの、掛け値なしの、御託不要の<リアリティ>。BGMのつもりで流していた、マーラー交響曲第3番(バーンスタインの旧盤)からも、いくつもの気がつかないでいたフレーズが際立ってきて、久しぶりの覚醒感に揺り動かされた読書体験だった。