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クロノアイズ

 「読書日記」なのに、あんまり本のことを書いていないのは、NYに来てから昼間読んでいるのは生殖医療や遺伝医療、遺伝子工学と社会といった分野の(しかも英語の)論文ばかりだから。この日記は基本的に大学生向けに書いている(つもり)ので、そんなのを逐一紹介してもあんまり意味がない。とはいえ、いろいろ面白い本もあるので、少しずつは紹介していこうとは思いますが、日記のメインにはなりえない。

 そういうわけで、ここで触れるのことができる本は、夜寝る前に読むまんがのことが多くなる。日曜の昼間に散歩がてら出かけるブックオフで仕入れてくるのだ。このあいだ「かっこいい不良」のことを書いたきっかけは、森慎二『ホーリーランド』を読んだから。いじめられて世をはかなんでいたひ弱な少年がなぜか少しずつ喧嘩に強くなり、ストリート・ファイターとして街の不良どもに受け入れられ、成長していくというシンプルな話なのだが、飽くことなく繰り返される格闘シーンの迫力と精緻な解説に引き込まれる。「闘い」が好きな人なら文句なく夢中になるまんがだろう。登場人物たちがみんな高校生なのに異様に(とりわけ現在の基準から見れば)大人びているのも王道。「お蝶夫人」などにも言えることだが、まんがに登場する高校生は「こんな高校生いるかよー」というぐらいで正しいのである。なぜなら高校一年生ぐらいまでは、二、三年の年長者と自分との距離がものすごく大きく感じられるからだ。その時点での感覚を忠実に(現象学的に?)描き出せば、お蝶夫人や、『ホーリーランド』の伊沢や土屋のように、あまりにも大人びた高校生がいてもおかしくはないのだ。

 そして先週仕入れたのは、2003年度「星雲賞」コミック部門受賞作にして稲葉振一郎氏が「千年に一冊」の名著『オタクの遺伝子』で克明に論じている長谷川裕一『クロノアイズ』。この人のまんがは、僕にはあまりにも画面がごちゃごちゃしていて読みにくいなあと思ったまま、なんとなくずっと敬遠していたのだ。しかし『ホーリーランド』の単行本を全部読んでしまい、さらに南Q太『スクナヒコナ』も3巻まで買って読んで、なかなか4巻がお店に現れないので、1ドルコーナーにあった『クロノアイズ』全6巻を大人買い(といっても6ドルですが)して読んだのである。
 いやーすいません。これまで読んでいなかったのは不覚の限りです。僕が現役のSF読みをすっかり降りてしまったのはずっと昔のこととはいえ、それでも話題作だけはそれなりに拾っていたのだけど、これは不覚だった。やはり偏見、食わず嫌いはいけない。そういえば俺は高校生になるまで刺身が食えなくて、これではいけないと一念発起して理性で食えるようにしたのだった。それはともかく、この作品は最高ですね。何か新しいものがあるかと言われると困る。タイムトラベル、タイムパラドックス、平行宇宙(パラレルワールド)という道具立ては基本中の基本そのままだし、出てくるガジェットはモビルスーツものや『ドラえもん』にも類似品がいっぱいあるもの。しかしそれらが次から次へとぶちまけられる濃密な展開、しかもどんなエピソードも「時間改変是か非か」という極太のメインテーマにきちんと絡んでいく職人技にはほれぼれする。「過去の修復」をめぐる禍々しい設定の哲学的刺激もかなりのもので、アメリカの分析系哲学者が読んだら早速例として使いそうなアイデアに満ちている。しかし全体の雰囲気としては、エドモンド・ハミルトンをハイパー化したかのような、古き良き懐かしさも感じられる。ちょっとフレッド・セイバーヘイゲンに通じなくもないかな。

 というわけで、今日はついつい続編の『クロノアイズ・グランサー』全3巻を一気買い、そして一気読みしてしまった。こちらは最初、やっぱり続編だからテンション落ちたかな〜という感じがしたのだが、ちゃんと大ネタを繰り出してくれていた。ただし、その扱いには疑問がある。もちろん、その内容はネタバレになるので書かないが、藤子F不二雄が自身の傑作「サンプルAとB」の結末(ロミオとジュリエットを蘇生させて、生きながらえさせたら、二人は愛を全うできたか?という思考実験)について、後にみずから「あれは甘かった」と評したときに思っていただろうものと同じ「甘さ」を、僕は感じた。抽象的に言うと、すべての善意が世界に災厄をもたらすだけであることを「知った」(「思った」ではなく。なぜならここでは現在と未来は実際に出会うことができるのだから)ときに、人はいかに先へ進めるかという、社会主義崩壊後の世界に生きる僕らにとって、真剣に考えるなら一歩も身動きできなくなるほどの問いがここでは提出されているのに、著者はそれを最終的には直視しなかったように思えたのだ。もっともこれは高速で一読した直後の感想にすぎない。