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素晴らしい世界、ソラニン

 ジャマイカ系の黒人の女の子に、「日本の若者たちは希望を失っていて、引きこもりとかニートとかが深刻な問題になっている」と話したら、ほとんどポカンと口を開けていた。世界一裕福なはずの人々がなぜそんなことになるのか、まったくわからないという。僕にも本当のところはわからない。もちろん、雇用問題とか、突出を嫌う日本文化とかについて、しどろもどろの英語で説明を試みてはみたものの、それだけではないような気もする。実際、明日の飯にも困るという人間の割合は、アメリカに比べればはるかに少ないはずだ。ニューヨーク市では6世帯に1世帯が十分に食料を購入できていないという(ニューヨーク市アゲンスト・ハンガー連合がアメリカ農務省のデータを元に分析した結果)。街をぶらぶら歩いているだけで、そんな数字も納得できると思える光景を目にすることはたやすい。それに比べれば、誰がどう見たって日本の若者たちは裕福だ。いわゆるニートだって、世帯単位で見れば一定程度裕福だから成り立つのである(もちろんそうではない例もあり、悲惨な状況であることは知っている)。誰が言っていたのか、すでに「最も豊かなとき」は終わってしまったという感覚が蔓延しているからなのだろうか。それとも、それは単なる気分で、経済がさらに好転すれば事態は変わるのだろうか。その可能性もあるだろうが、よほどの土台上部構造決定論をとるのでないかぎり、そう単純には行かないだろう。

 僕にも本当のところはわからない。でも、実を言えば、少しはわかるような気もしている。僕は、自分が堅実な職場に就職をして、それなりにきちんと勤めて、物書きの仕事も地味に続けているということが、ときどき朧気な夢のように思える。「夢」というのは、Dreams come true.というときのバラ色の夢ではなくて、なんだか本当ではないような気がするという意味のほうだ。僕はもともと勤勉な人間ではないし、放っておいても学者になるというようなタイプでもない。ほんとうはテレビを見ながら家でゴロゴロしているのが性に合っているし、だいたい人間の世界というか、政治も思想もそんなに好きじゃない。小中高と一貫していちばん成績が悪い科目も社会科、特に歴史だった。まるで興味がなかったのだ(強いて言えば、世界史の最初のほう、アウストラロピテクスあたりのところだけは好きだった)。だいたい人類なんて滅びるのが早いか遅いかの違いしかないのだし、たとえ世界中に醜い汚職や殺人や戦争が充満していて、罪のない何億人もの人間が苦しみにあえぐ一方、一握りの汚い連中があぶく銭を握りしめていても、好きな女の子が自分のことを好きになってくれれば僕は生きていてよかったと思うだろうし、反対にたとえ理想社会で何不自由なく暮らせたとしても、思いが叶わなければ死んでしまいたいと思うかも知れない。たぶん僕だけではなく、至福千年期の街の広場には、夕刻になると人々が集い、生きることの苦悩について、叶わなかった大切な思いについて、静かに語り合うだろう。そんな非生産的なことばかりぼんやり考えてきた感傷的な人間である僕もまた、いいトシをして、まだ十分には大人になりきれていないのかもしれないと思うことがある。もちろん悪い意味で。大人になれない、ということには、「いい意味で」と付ける余地はありえない。けれども、そうだと知っていながら、なんで大人になんかならなきゃいけないのかと、どうしても思ってしまうことがある。

 どうしようもなく優しい二十一世紀初頭!の若者たちを描いた、浅野いにお『素晴らしい世界』(12)と『ソラニン』(1)を読みながら、そんなことを久しぶりにぼんやりと考えた。浅野いにおのまんがは、あまり多くの人々の目に触れさせずに隠しておきたいような親密な温度に守られているが、しかしそれはやっぱり無理だよな、と思わせるメジャーな強度が漲っている。ただし『ソラニン』でもまだそれは全面展開されてはいない。もしかすると、あえてそうはしないという自覚的な意志があるのか。そうだとしたら、かつて松本大洋が1990年代において瞬間的にそうだったように、あるいはそれ以上の密度で、浅野いにおは2000年代のニッポンを密かに代表する作家になるだろう。なんてったって、ロックバンドを描くマンガはいつだって素敵なんだ。