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『バベル』と『ビフォア・ザ・レイン』

 しかし部屋に籠もってばかりいてはいけないと思い、先日、久しぶりに映画館に行って話題のBABELを観た。ひと月ばかり前にもユニオン・スクエアの映画館に観に出かけたのだが、上映開始の30分も前に行ったのに、もうチケットが売り切れだったのだ。今回はアパートから歩いて12,3分のところにあるシネマ・コンプレックスで、客の入りはそこそこ、椅子もふかふかで落ち着いて観られた。
 詳しい内容は上の宣伝サイトでご覧ください。出来はなかなかのもので、手応えはあったけど、アカデミー作品賞はどうかな……。4つのエピソードが、現実にはつながりながら、当事者たちにはそのつながりがまったく見えないという世界観は十分に批評的だし、特に前半で、パッケージを外れた、思いがけない異文化体験の切迫感を観客に突きつけるあたりは迫力があった。たとえば、いかにも恵まれたアメリカ人観光客がひょんなことで観光ルートを外れ、モロッコの砂漠に近い場所で暮らす人々たちのど真ん中に投げ出されたときの恐怖。あるいは、東京のろう学校の女子生徒(菊地りん子)がナンパされて、しかし、ろう者だとわかると男どもが引いていくときの疎外感。けれども、後半になると、各エピソードの質感がうまく揃っていない感じがした。特にブラピとケイト・ブランシェットのカップルがエラい目に遭う話は、二人のいかにもハリウッドな演技が少々浮いてしまっていて、あんまり入り込めない。ただ、僕が日本人で東京に住んでいるからかもしれないが、モロッコの砂漠の民の子どもたちを襲う悲劇よりも、東京の超リッチマンションにエリートの父親(役所幸司)と暮らしている少女の日常のほうが痛いのは、ああやっぱりそうだったのかという感じがした。アメリカ人の観客の反応(彼らは上映中にもかなり明瞭にリアクションをするのだ)がいちばん大きかったのも、東京のエピソードだったし、菊地りん子はアカデミーの助演女優賞をもらうような気がする。

 複数の、一見なんの関係もなさそうなエピソードが見事につながっていくという形式の映画で、僕がなんといっても感銘を受けたのは、マケドニアを舞台にした『ビフォア・ザ・レイン』(ミルチョ・マンチェフスキー監督)。もう10年も前、たしか朝日新聞の映画評で秋山登が絶賛していたので観たのだ。バルカン半島の民族紛争が背景だったこと以外にはストーリーもまったく覚えておらず、映画館で観たのかテレビで放映されたのかさえ忘れてしまったが(手元にテレビを録画したVHSのテープがあるのは確かなのだが)、その鮮烈な印象だけはよく覚えている。僕のオールタイム・ベスト10に入るほどの感動だった(とはいっても、僕が観た映画の本数はせいぜい300本ぐらいしかないんだけど)。今回のBABELは、『ビフォア・ザ・レイン』の印象と比べてしまったので、少々損をさせたかもしれない。それにしても、いまこの映画のビデオもDVDも入手困難なのはけしからんよ。