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シガリョフ

 高校生のときだったか、大学に入ってからだったか、よく覚えていないのだけれど、ともかく若い頃に読んだドストエフスキーの『悪霊』のなかでいちばん印象に残っている登場人物は、かなり最初のほうに登場するシガリョフという男だ。

 とは言っても、焼き付いているのはシガリョフの語る思想であって、その人物像はまったく覚えていない。たぶんほとんど描かれていなかったと思う。それどころか、語るのはシガリョフ自身ではなくて、その従者がご主人様の思想を紹介する、というような設定ではなかっただろうか。

 そのようにして語られるのはこんな思想というか、社会構想である。人間全体から1割の優秀な部分だけを選抜して、統治階級として教育する。そして、ここが肝心なのだが、残りの9割は数代にわたる退化を施して、「原始的な天真爛漫さ」に至らせる。そうすればすべての社会構成員が幸福になれる――。

 これは一見、19世紀型の優生学と似ているが、実は違う。優生学者たちの主張と重なるのは、優秀な部分を選抜する(積極的優生学)という前半部だけであって、「残りの9割」については優生学者たちが言ったのは、緩やかなやり方であれ(産児制限)、乱暴なやり方であれ(安楽死)、かれらを幸福にすることではなく、絶滅させることだったからである。

 それよりもむしろ、シガリョフの思想は、昨今の日本政府に活用されている文化人(阿川弘之江崎玲於奈など)たちがのたまう、「優秀な人間には高度な教育を、そうでない人間には実直に働く精神を」という「構想」に似ている。ただし、大きな違いは、上記のような御用文化人たちとは違って、シガリョフは本気で人類の幸福を考えていたということだ。だからこそ、それは真に危険な思想として、それが語られる会合の場に居合わせたキリーロフたちの反発を招いたのである。

 「奴隷の幸福」という問題がある。それは、ますますリアルな重みを帯びつつある。ハナ・アーレントは『人間の条件』のなかで、慈悲深い君主による統治の最悪な点は、臣民が奴隷根性の持ち主になってしまうことだ、という意味のことを言っていたと思う。それを読むたびに、僕はあの穏やかな人格者と思われる現天皇その人と、その下に連なる「臣民」たち、言うまでもなくその一人たる「日本人」としての自分の居場所について繰り返し考えるのだが、そのうちに思考はいつもシガリョフの語る未来社会像に流れ着いてしまうのだ。言うまでもなくその不気味さは、理論的には、それが<ある意味で>たしかに理想的であるように見える、というところにある。

 ところで、『悪霊』についての記述は、すべて20年ほど前に読んだ(しかも途中で挫折!)だけのあやふやな記憶に基づくものなので、興味をもたれた方はぜひともご自分で読んで確認してください。ドストエフスキーを読んで損するということはありえませんから。