MOMAで想う

 帰国間近の金曜日の夕刻、例によって何度目かのMOMAにタダで入る。常設店ではいつもパウル・クレーの部屋で長い時間を過ごす。キリコの絵の呪縛力はいつも圧倒的だ。セザンヌの絵もたくさんあるが、メルロ=ポンティが『知覚の現象学』の序文で現象学の方法について、セザンヌにも匹敵する世界への注意とかなんとか書いていたことの意味がようやくわかったのは、このあいだ日帰りでぶらぶらしに出かけたフィラデルフィアの美術館でセザンヌの人物画を観たときだった。ダリの絵はとても綺麗だけど、揺さぶられるようなものはないなあというのがいつもの感想。「泣ける」ことを原点としている僕としては、イヴ・タンギーの方が好き。エレベーターを上がってすぐのホールにかかっている超大作は、いまはアンリ・ルソーの作品で、これもすばらしいのだけれど、去年の夏に僕が最初に来たときはピカソの『アンティーブの夜釣り』だった。中学生の時から憧れていた作品を間近に見られて、本当にうれしかった。

 いくつかやっている特別展も皆なかなか面白かったのだが、その中のインダストリアル・デザインの部屋に展示されていたジャガーの1963年生コンバーチブルは圧巻! 流麗という言葉しか当てはまらないボディーは、もう飛びそうで、笑っちゃうぐらい格好いい。僕はインダストリアル・デザインが大好きで、見るだけでなく、十代の頃はオーディオ製品とかクルマのデザイン画を描くのに多大な時間を費やしていた(もっと勉強しときゃよかったという気もするが)。どうも90年代以降、日本の工業製品のデザインに大きなアタリが少ないのが悲しい。それ以前、70〜80年代のヤマハのアンプやカセットデッキのデザインなんかは、いまでも見るたびに胸がうずく素晴らしさだった(僕はヤフオクでCA-2000のレストア品に高値をつけてしまいそうな誘惑と日々戦っている)。日本のオーディオ産業はその後見る影もなく衰退してしまったが、クルマはそんなことないんだから、もう少し余裕のある、美しいデザインにできないものなのだろうか。

 もう一つ、現代オブジェを見てある気ながら思ったこと。MOMAで大々的に「ウルトラ展」をやらないかなあ。あの会場に、プリズマやブルトンのような抽象芸術体はもちろん、得体の知れない怪獣や宇宙人という名の異人間たち(特にキュラソ星人やユートム、ナース、ガッツ星人ギャンゴツインテール、チブルまたはクール星人、もちろんバルタン星人ヤプール人、カネゴンなんかが立ち並んでいたら、さぞ壮観だろうなあ。その創造的な想像力に、爬虫類や昆虫の中途半端な変形にしか遭遇したことのないたいていのアメリカ人たちは衝撃を受けるだろう。まして、もしも『バロム1』の怪人たちまで並べた日には――。いや、むしろウデゲルゲやクチビルゲってのは、フツーに芸術的すぎるかな?

 ところで、今気づいたのですが、Atok17では「せいじん」を「星人」に変換できないんですね。ちょっとため息まじり。