頭がいい人の文章を読むのは辛い。たとえば太宰治がそうだ。こんなに明晰で、何もかもが見えているのに、生活なんてものをしていかなくちゃならないのは、なんと理不尽な重荷だったろうと、かわいそうでたまらなくなるのだ。もちろんそんな人は滅多にいない。適度に愚鈍でなければ、さも何かを「自分で考えた」かのようなフリをして、文章などというものを書いたりはできないからだ。もちろん僕自身もそうだ。
有島武郎も、僕にとってはそうした希有な「かわいそうな人」の一人だ。『或る女』は、女が人間であること、すなわち自我だの感情だの性欲だのといった厄介な「精神」をもつ存在であることを――そんなの今では当たり前のこと? 本当に?――完膚無きまでに示した超傑作だが、他者が自分に向ける視線の奥にあるものを異様なシャープさで言語化しつくす知的眼力と、ほとんど幼稚とさえいえない剥き出しの性欲や嫉妬感情に翻弄されることとのあいだを激しく往復する主人公・葉子は、人間と外延をほぼ等しくする一個の世界であると同時に、いうまでもなく有島の自画像でもある。そうとしか言いようがない。だから、『或る女』の、何がどうなったのかもよくわからない凄絶なラストシーンを読んでため息をつくとき、僕は有島武郎がかわいそうでならないのだ。
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前途は遠い。而(そ)して暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。
行け。勇んで。小さき者よ。