スピノザ―「無神論者」は宗教を肯定できるか (シリーズ・哲学のエッセンス) 上野 修 日本放送出版協会 2006-07 売り上げランキング : 190910 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
これもムチャクチャ面白い。スピノザのテキストそのものの力なのだろうが、この異様な哲学の必然性めいたものをまっさらな読者にこれだけ鋭く伝えることは並大抵のことではない。議論は明快にして粗野でなく、文章は軽快にして含蓄深く、何より、さりげなくアツイ。入門書として最高に近いんじゃないだろうか。
たとえば、『神学・政治論』が書かれた時代背景の説明をする文脈で、上野氏はこんな風に書いている。「アムステルダム市こそはその[言論の自由を実現した]例であり、この都市はそのみごとな繁栄とあらゆる民族の驚嘆とともにこの自由の果実を享受している」というスピノザの文章を引いた後で、
もう二十年以上前のことだが、僕がスピノザにはじめて興味を抱いたきっかけ、柄谷行人がどこかで書いていた「スピノザこそが真に民衆のことを考えているのだが、民衆が喜ぶようなことは一行も書けないのだ」という一節を思い出した。何を言ってるんだ、そんなのは金儲けのための自由じゃないか。「自由と繁栄」「あらゆる民族・あらゆる宗派の共存」などとふやけたことばかり言っているから国のモラルは低下する一方なのだ。こんなふうに言いたくなる人なら、あの時代、聖職者の説教に煽動されて総督に喝采する民衆、自由勢力を「不敬虔のやからども」とののしる民衆の一人でありえただろう。いまお話ししている『神学・政治論』の出版の二年後、共和派の首魁ヤン・デ・ウィットは兄とともに路上で暴徒に囲まれ、惨殺される。お前が寛容や自由ばかり言って祖国の守りをおろそかにしたから外国軍の侵入を招いたのだ、と文字通り吊るし上げられ、切り刻まれたのである。伝えられるところでは、普段もの静かなスピノザはこの暗殺に激高して、「この上ない野蛮人ども!」と記した弾劾文を該当に貼り出そうとしたらしい。下宿の主人が押しとどめなかったなら、彼もどうなっていたかわからない。(20-21ページ)
『エチカ』で完全な決定論を、そしてそれゆえに人間の幸福であることを「証明」したスピノザは、『神学・政治論』では宗教(聖書)と真理が無縁であること、それゆえに敬虔が何よりも尊いことを「証明」したのだという。『エチカ』も『神学・政治論』も、ついでにドゥルーズの『スピノザ』も、僕には荷が重く、何度も拾い読みしては挫折を繰り返している本だけど、上野氏の眼のさめるような説明を読むと、よし自分でもちゃんと読まなければ(翻訳でだけど)と思いを新たにさせられる。というか「自由」について真剣に考えるには読まないとイカンことはわかっているのだが。にとにかく異様な論理であり、異様な魅力をはなつ哲学なのだ。
上野氏の『精神の眼は論証そのもの――デカルト、ホッブズ、スピノザ』もながらく積ん読。この冬、年末年始に読むことに決めたぞ。
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