The Who Live at BUDOKAN

 結局、最終公演も当日券を買って観てしまった。二階席のステージ正面、前の方だったが、迷わずに早くから並べばもっと良い席になっただろうに……。

 でもそんなことはもうどうでもいいのだ。今夜のザ・フーは圧倒的だった。すべてが美しく、意志が漲っていて、まるで未来の音楽だった。23世紀ぐらいのある夜に、その時代の最高のクラシック音楽を聴いている……そんな幻想にとりまかれた。「ババ・オライリー」では嬉しくなってジャンプしてしまったし、「マイ・ジェネレーション」メドレーかどこかでは涙が流れてきた。

 ベテランのミュージシャンは、どうしても過去の自分(たち)のパロディめいて見えてしまうことがある。どんなに誠実に演っても、やればやるほど裏目に出てしまうことがある。それを回避するためには、「渋さ」に方向転換すればいい。ローリング・ストーンズエリック・クラプトンはそうしている。それでも正直、ミック・ジャガーの元気のいいアクションやキース・リチャーズのギターの構え方は、若かりし頃のミックとキースのパロディと感じられて、微笑ましさが漂ってしまっているはずだ。
 ところが、ザ・フーにはそれがない! ピート・タウンゼントが右腕を風車のように振り回しながら適確にギターの弦をヒットするあの(実は超高度な)ワザを決めまくっても、それは少しも微笑を誘わないのだ。なぜかはわからない。とにかくそれは、ただ単にピートのspontaneousな、無茶苦茶格好いいアクションとしか感じられないのだ。

 ザ・フーの音楽は紛れもないファシズムだ。かつて、デビッド・ボウイは、『ジギー・スターダスト』時代のショーアップされた自分のロックを「ファシズム・ロック」と呼んで韜晦に自己批判したが、ザ・フーにはそれは当てはまらない。なぜならかれらの音楽は、巨大な疾風のように聴衆を吹き飛ばし、要らぬ憂いを吹き飛ばして無理矢理<自由>にしてしまう、輝けるロックンロール・ファシズムだからだ。

 僕はずっと、ザ・ビートルズを観られなかったことを、原罪のような欠落として感じてきた。でも、もういい。ビートルズも、ジミ・ヘンドリックスも観られなかったけど、もうかまわない。ザ・フーを観られたのだから――しかも三度も――もう全部いいことにしよう。

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