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最底辺の10億人、生政治の誕生

ポール・コリアー『最底辺の10億人:最も貧しい国々のために本当になすべきことは何か?』(中谷和男訳、日経BP)に出てくる「オランダ病」の話が印象深い。ある国に天然資源が見つかり、輸出されるようになると、為替レートにおける時刻の通貨価値が高騰し、その国の他の輸出は国際競争力を失う。しかし、そこで失われたそのほかの経済活動は、技術的進歩に最適の手段だったかもしれないのである。天然資源が見つかったばっかりに、経済成長はかえって停滞してしまうのだ。これが最貧国に起こると結果は悲惨なものとなる。こうした問題に、政府の腐敗と、経済現象にかんする大衆の(不可避的な)無知が加わったナイジェリアの事例が痛々しい。 

好況と不況の循環によって、有権者は政府がいつ誤りを犯したのかを判断しにくくなる。一九八〇年代の前半にナイジェリアは大きな石油ブームにわき、政府はその間に大きな負債を抱え、腐敗にまみれた不経済なプロジェクトに投資し、石油ブームのチャンスを台無しにしてしまった。しかも一般国民はほんのわずかこのブームの恩恵にあずかっただけだった。一九八六年に世界の原油価格が暴落すると、ナイジェリアにとって、労せず利益を上げる道は突然閉ざされてしまった。石油収入が激減したばかりでなく、銀行も貸し渋りを始めた。そればかりか銀行は返済を迫ってきたのである。莫大な石油収入と借款から、石油収入の激減と借款の返済へと事態は急激に悪化して、ナイジェリア人の生活水準は半分に落ちた。
 一般国民にはその理由はわからないにせよ、この劇的な経済の衰退には気づき始めていた。この時点で政府は国際金融機関の支援を得て、限定的な経済改革に着手した。この改革は政治的に仰々しく宣伝され、構造調整プログラム(SAP)と呼ばれた。この改革は限定的なものだったが、それなりに成功し、石油ブームの時よりも石油生産は大幅に伸びたが、借款から返済への転換と、原油価格の下落によって投資が減ったことで、非石油部門での生産の成長率は完全に落ち込んだ。その結果、改革による成長は、下落する生活水準をほんのわずかしか向上させることができなかったのである。しかしナイジェリア人はそうは考えなかった。彼らが経験した恐るべき貧困の増大は、華々しく喧伝された経済改革によって引き起こされたものと考えた。この改革が実行されるまでは生活は改善されていったが、改革が始まると貧困が深刻化したからである。そして、なぜこれほど悲惨な「改革」を経験することになったのかと、ナイジェリア人は考えた。当然彼らが到達した答えは、国際金融機関が共謀してナイジェリアを崩壊させようとしているということだった。
 かつて私が国連のパスポートでナイジェリアを訪ねた際、最初はにこやかに応対していた入国管理官が「世界銀行」という文字を見ると、彼から笑顔が消えた。そして「あんたとは握手をしないよ。世界銀行は貧しい者を憎んでいるから」と言い放った。好況と不況のサイクルの原因を誤解したことで、ナイジェリアにおける経済改革の支持基盤は生まれなかった。大いに改革の利益を享受するはずだった一般国民は、景気が良かった謝った管理の日々の再来を切望する。管理の失敗こそが好景気の原因と思い込んでいたからである。これまでマルクス主義者はかつてこのような大衆の誤解を指すときに「虚偽意識」という便利な表現をもっていた。(70-72ページ)

 この一節を思い出したのは、今年の大学院のテキストにしたM・フーコーコレージュ・ド・フランス講義 1978-1979年度』(愼改康之訳、筑摩書房)を読みながら。1979年2月7日の講義では、新自由主義の源流としての「オルド自由主義」が扱われ、統制経済はすべてナチスに通じるという彼らの議論が要約される。
 

なぜナチスは、みずからが告発しようとしているものを継続することしかしないのだろうか。それはまさしく、それらすべての諸要素が、ゾンバルトそして彼の後にナチスが主張していたのとは異なり、ブルジョア資本主義社会によってもたらされた効果ないしその産物ではないからだ。そうした諸要素をその効果およびその産物としてもたらすのは、逆に、自由主義を経済的に受け入れないような一つの社会である。(140ページ)

市場経済に関して非難されてきた不備や、市場経済に反対する根拠として伝統的に持ち出されていたその破壊的効果について、実はそれらを市場経済のせいにしてはならず、逆に国家の責任としなければならないということ、つまりそれらをいわば国家および国家に固有の合理性に内在的な不備の責任としなければならないということが、ナチズムによってはっきりと示されている以上、分析を完全に転倒させなければなりません。(……)すなわち、市場経済がそれ自体として、国家を制限するための原理ではなく、国家の存在およびその行動を端から端まで内的に調整するための原理となることを要求しよう。(……)つまり、国家の監視下にある市場よりもむしろ、市場の監視下にある国家を、というわけです。(143ページ)

 あとこの講義で面白いのは、「オルド自由主義」を推し進めたフライブルク学派の中心人物ヴァルター・オイケンに与えたフッサールの影響の指摘。18世紀の自由主義が「交換」を市場における本質的なものとみなしたのに対して、19世紀以降は「競争」がそれに取って代わった。さらに新自由主義は、市場経済の原理から自由放任の必要性を引き出していたそれまでの自由主義に決別したのだという。 

彼らは言います。市場を組織化する形式としての競争の原理から、自由放任を引き出すことはできないし、[引き出してはならない]。それなぜだろうか。それは、市場経済から自由放任の原則を引き出すとしたら、それは結局、「自然主義的素朴さ」と呼びうるようなものの内部に依然としてとらえられたままであることになるからだ。(……)実際、そもそも競争とは何であろうか。それは決して自然の所与などではない。競争は、その作用、そのメカニズム、そしてそこで評定され価値づけられるそのポジティヴな諸効果において、自然の現象などでは全くない。それは、欲求や本能や行動様式などの自然な作用の結果などではない。(……)それがもたらす有益な諸効果を、競争は、自然の先行やそれが備えているとされる自然的所与に負っているのではない。そうではなくて、競争は、そうした諸効果を一つの形式的特性に負っている。競争、それは一つの本質である。競争、それは一つのエイドスである。競争、それは一つの形式化の原理である。競争は一つの内的論理を持ち、自らに固有の構造を持つ。その諸効果は、そうした論理が尊重されるという条件においてのみ産出される。それはいわば、諸々の不平等のあいだの形式的作用である。それは、諸々の個人のあいだ、諸々の行動様式のあいだの作用ではないのだ、と。
 そして、フッサールにとって一つの形式的構造がいくつかの条件なしには直観に与えられないのと同様、本質的な経済的論理としての競争は、注意深く人為的に整備されたいくつかの条件のもとでしか出現しないし、その諸効果を算出しないでしょう。すなわち、純粋競争は原始的所与ではないということです。それは長い努力の成果でしかあり得ないし、実を言えば、純粋競争に到達することは決してないでしょう。(147-148ページ)

 そしてここから、「統治性」の話につながってゆくわけだ。 

まさしく市場は、というよりもむしろ市場の本質そのものとしての純粋競争は、それが産出されることによって初めて、そしてそれが能動的な統治性によって産出されることによって初めて、出現可能となるからです。こうして、競争にもとづく市場のメカニズムと統治政策とがいわば全面的に回収されることになります。(149ページ)

 「自由」そのものを可能にする条件としての「統治性」、そのアイデアに影響を与えた現象学

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