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【紹介】(福島)原発行政の背景について

田島正樹さんのエッセイ:堀江邦夫『原発ジプシー』をめぐる回顧。
http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/52136139.html

橋本務さんのエッセイ:前福島県知事を脅した東電とその背後の日本政府(自民党政権)。
http://synodos.livedoor.biz/archives/1721748.html

武田徹さんのエッセイ:推進派と反原発運動の膠着した二項対立のせいで「原発の安全性を高める」というオプションが不可能にされたことについて。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110328/219175/?rt=nocnt

原発ジプシー (1979年)原発ジプシー (1979年)
堀江 邦夫

現代書館 1979-10
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知事抹殺 つくられた福島県汚職事件知事抹殺 つくられた福島県汚職事件
佐藤 栄佐久

平凡社 2009-09-10
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「核」論―鉄腕アトムと原発事故のあいだ「核」論―鉄腕アトムと原発事故のあいだ
武田 徹

勁草書房 2002-11
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 この最後の本、武田徹『「核」論』について、僕は刊行直後、『東京新聞』に書評を書いたことを思い出した(たぶん2003年1月中に掲載されたはずだ)。短く、拙い文章だが、再掲しておく。

原子力的日光のなかでひなたぼっこをしていましたよ」。憲法をめぐる交渉の場でGHQ高官が口にしたこの不気味な言葉を導きの糸として、本書は殺戮兵器(原爆)と「平和利用」(原発)とをつなぐ「核」の戦後日本における受容史を描き出す。
 扱われる素材は多彩だ。核の恐怖の形象化から無害な娯楽作品へと変質したゴジラ映画。原発推進に暗躍する中曽根康弘正力松太郎原発の明るいイメージをばらまいた大阪万博。過疎対策として誘致されながら過疎を固定化してしまう原発
 なかでも「ウラン爺」のエピソードには驚愕し、胸を衝かれる。一九五〇年代にウラン鉱山に一攫千金を夢みて挫折しただけでなく、ウラン鉱入りの風呂につかり、ウラン鉱を混ぜた肥料で野菜を育て、妻子ともどもガンで死んでいった男の軌跡。当時の「放射能フィーバー」の渦中で起こったこの悲喜劇を、しかし私たちが嘲笑うことはできない。記憶に新しいJCOの臨界事故当時、被爆死した労働者たちは放射性物質をバケツで扱っていたではないか。
 そのような「無知」による犠牲を構造的に生み出す原子力行政と、それを追認しつつ電力を享受している私たち自身に対する批判が本書の「核」をなしている。そこから繰り出される、派手な巨大施設ばかりに目を奪われて小さな施設の窮状から目を背けてきた原発「ハンタイ派」にも事故の責任はあるという指摘は鋭く厳しい。反面、反核市民運動が科学的思考を安易に手放しすぎるという議論は具体性を欠き、技術の制御のために必要な「倫理」の主張もなお原則論にとどまっている。むしろ、たとえば核施設をめぐる情報隠蔽の子細がジャーナリストの手腕で暴き出されれば、それは直ちに市民に対する提言になっただろう。
 だがそうした無い物ねだりは読者としての怠慢であろう。それは今もアメリカの核の傘原発による「原子力的日光」の下に生きる私たち一人ひとりが、我が事として考えるべき問題なのだ。本書はそのための刺戟とヒントに満ちた好著である。