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科学哲学会WS「生命現象は物理学や化学で説明し尽くされるか」

 昨夜はアファナシエフの毒にあたったのか、どうにもよく眠れず、しかも朝起きてみたら激しい風雨にひるみつつ、いやいやこれくらいで閉じこもっていては老化に拍車をかけてしまうと自分を鞭打ち、午後から日本科学哲学会のワークショップ「生命現象は物理学や化学で説明し尽くされるか」に出かけた。

 横尾剛による網羅的な論点整理とか佐藤直樹による生物学者としての実感の話など(佐藤先生の話は生物学基礎論研究会のときより「一般向け」だったけど)、勉強&ヒントになる点もあったけど、全体としては実質的な論点の掘り下げが始まる前に時間がきてしまったという印象。資料はここにあるので、報告と質疑を聞きながら考えたことだけを、整理しないまま、備忘録的に書いておく。

1)もちろん「生命現象」という概念が何を指すか、という話はあるのだが(佐藤さんは「生物現象」とその内的ないし裏的原理としての「生命現象」は別で、前者には歴史があるが後者には歴史がないという話を質疑応答の中でしていて、これはたぶん多くの生命科学研究者の共有する実感なんじゃないかと思ったのだが)、そういう話はまた別に考えるとして。

2)還元論の話をするとき、(a) 意味とか規範とかを物理的実在(的なもの)に還元するという話と、(b) 自然科学の枠内で、生物学を物理学とか化学とかに還元するという話とでは、だいぶ中身が違うだろう。

3)「物理学や化学」という二種類の科学を選んでいる時点ですでに強烈な理論的前提が置かれてしまっているのではないか。上の(b)とも関係するけど、佐藤さんが言っていたように、実は物理学者は今でも「物理的なものを説明するのはすべて物理学なのだ」と信じている(!)とすれば、当然化学も物理学に還元され、生物学もまた究極的には物理学に還元されるのが当然ということになるだろう。ではなぜ単に「物理学」ではなく「物理学や化学」にしたのか。仮に、自然科学の対象が(あるいは、自然科学的な認識が)単純な階層構造をもっているとして、上位の現象をより下位の現象(≒より基礎的な構成要素間の相互作用)に還元できるという話一般と、究極的な基盤である物理学に還元できるという話とは、一応区別しておいたほうがよいのではないか。(一段下位には還元できるけど、二段はできないとか、もありうるし。)

4)横尾さんが整理の中で仰った「有効理論」、すなわち、どんな自然現象もある意味では物理学に還元できるけど、説明としての有り難みというか有効性という観点から、化学とか生物学とかいった中間レベル?の学問(=説明の仕方)があってよいのだという話は、たぶん非常に多くの科学者が(自覚的にであれ、何となくであれ)受け入れているんじゃないかと思えるのだが(別の言い方をすると、佐倉統のいわゆる「ゆるやかな還元主義」))、そして三番目に報告した森元良太さんの「文脈によって多元的な説明があるべきだから、生命現象は物理学に還元し尽くせない」(大意)というのも要するにそういう話だと思えるのだが、その点についてはちゃんと議論されなかったのが残念。これはむろん、例の「シェークスピアの一節の意味を素粒子物理学で説明するなんてのはナンセンスだ」といった話と同じだ。そういう「説明」は原理的にはできるかもしれないが、第一にわれわれの理解力の範囲を超えるし、第二にそもそもそういうものが説明と呼べるのかという問題も生じる。説明だろうが理解だろうが、われわれがそこから認識利得を得るから嬉しいのだし、そもそもそうであるからこそ説明とか理解とか呼ばれるのであって、本来の問いに同じ平面で答えていない説明とか、端的にわけのわからない説明とかは、そもそも説明ではないだろう(「説明になってない」という日常的な言い回しもある)。

5)ところで、ワークショップではいつのまにか「生物学を物理学や化学に還元できるか」という話になっていたように思うが、このことと「生命現象を物理学や化学で説明し尽くせるか」という問いとでは必ずしもイコールではないかもしれない。たとえば「生命現象を生物学で説明し尽くせるか」という問いと、それはどこが違うのか、を考えてみたい。

6)質疑応答の最後の方で「説明」という概念そのものについて、何をどうすれば説明したことになるのかについては慣習的・規約的であるという指摘(要約間違えていたらすみません、よくわからなかったので)があって、生物学ではむしろ「理解」が必要なので、物理学に還元できるはずがないという批評がなされたが、これはたぶん重要な論点に触れているとは思うものの、何か混乱があるような気がして、僕にはよくわからなかった。これは結局上記の第1点と同じことだが、説明とか理解とかいった営みが規範性とか意味とか科学者共同体の規約とか科研費分捕り競争上のさまざまな制約とかによって規定されているという話と、研究対象自体が規範性や意味を含んでいるかどうかという話とは別物である。生命現象と呼ばれる対象は、物体の落下とか発火とかいった現象と同様に、一般的には規範性も意味も含んでいないだろうから(含んでいればむしろ社会学の対象になる)、仮に物理学において用いられている説明の概念・用法を是とするなら、生物学において同様の説明概念を用いることが直ちに否とされるいわれはないように思う。それは対象が複雑系であるか否か、「創発性」を認めるか否かといった問題とは別のことなのではないか。

7)あと、「個別性」と「一般性」とかも問題になっていたけど、これで生物学と物理学の違いを言うというのは、ちょっとよくわからなかった。もっとよく考えてみたい。

 以上、読み返して、自分でもよくわからん箇所もあるが、とりあえずメモとしてはこの辺にしておこう。

 ↓は、今日、佐藤先生と横尾先生が言及していたMalaterreの本。頑張って読まなきゃいかんかなー。(ところで、リンク先のamazon.frのレビュー者名が「naoki」になっているので、たぶん佐藤直樹先生がポストしたのだろう。しかも日付が今日!)
[http://www.amazon.fr/origines-vie-Emergence-explication-r%C3%A9ductive/dp/2705670335/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1321711888&sr=1-1:title= Christophe Malaterre, Les origines de la vie :Emergence ou explication réductive? Hermann, 2010]