本日の入試監督終了。この時期だけの早起きも、ようやくあと一日を残すのみ。
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もっと本格的な教科書では、『エッセンシャル・キャンベル生物学』の第4版の邦訳がつい最近出たので、これが次のステップとしてお勧めできる。解説はわかりやすく、きれいな図版も多いし、また各章のトップに必ず「生物学と社会」というコラムが配されていて、興味を引きつけてくれる。『キャンベル』本体に比べたら半分以下の厚さだし。まだ拾い読みしかできていないのだが、できれば4月になる前に一度通読しておきたいものだ。
エッセンシャル・キャンベル生物学 伊藤 元己 丸善出版 2011-07-01 売り上げランキング : 302016 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
ところでいきなり話は変わりますが、「最近の若いやつは礼儀がなってない」という件について、なんにせよ全体的な傾向なんぞはわかるはずもないが、個人的な体験の範囲では、むしろ逆の印象をもつことも多い。特に気にかかっているのは、数年前からのことなのだが、大学院の授業が終わって僕が帰ろうとすると、「ありがとうございました!」と丁寧に挨拶をする院生諸君がいること。時には何人かで声を揃えて「ありがとうございましたー」と言ってくれる。最近はまあ慣れてしまったけど、最初は軽い衝撃を覚えた。そして思わず我が身の来し方を振り返ってみたりした。
僕が大学院生だった頃、一対一で質問に答えていただいたりした場合はむろん別だが、集団の授業が終わったあとで教員に対して「ありがとうございました」と言ったことはなかった、というか、そういうことを言うものだという感覚はなかった。というか、そういう挨拶をするという行為が可能なのだ!ということ自体を数年前に院生諸氏から教わったわけで、僕の院生時代には「ありがとうございましたー」と挨拶をするという行為の可能性の条件さえがなかったと言うべきだろう。
それはなぜかと自省してみると、学部生の時の授業は「仕方なく出席している」感が強くあり、院生の時の授業では「先生から何かを教わっている」感が欠落していた、ということだったのではないかと思う。いずれにせよ若気の至りであり、まったく褒められたことではなかったが、事実としてそうだった。特に院生の時は某助手が「院生は一人前の研究者なのだから、他人から教わっているようじゃだめだ」と盛んに吹聴していたりして、僕はアホなのでそれを半ば以上真に受けてしまったのだ。もっとも、実際に多くのゼミでは、先生は割と黙っていて、学年を問わず院生たちが勝手に議論していたというのも事実ではあった。
ということは、ここ数年の(僕が受け持った)院生諸君は、教員から「教わっている」「教えていただいている」という感覚が強いのだろうか。社会人学生も多かったので、そういう礼儀作法が身についているのかもしれない。でも学部のゼミでも、けっこう同じことは起こるのである。比較的少人数のゼミだから、「個人対個人」感が生じて、御礼を言わなければいけないような気がするのだろうか。それはあるかもしれない。それにしても、いつも「ありがとうございましたー」と言われるたびに、ハテ俺はそんなに御礼を言われるようなことをしただろうか、いったいそんなに有意義なことを教えたであろうか、と自問が膨らんできて、ちょっとだけど悩んでしまう。無言で教室を出て行くこともないが、挨拶はせいぜい「さようなら」とか「また来週」とかでいいのではないか。大学院生たるもの、口にはださなくとも、「今日も勉強してやったぜ」とか、あるいは「オレのほうが教えてやったぜ」ぐらいの気構えでいてもいいんじゃなかろうか。もちろん、あんまり根拠レスに生意気なのも有害に決まっているのだが。