『魯迅――東アジアを生きる文学』

魯迅――東アジアを生きる文学 (岩波新書)魯迅――東アジアを生きる文学 (岩波新書)
藤井 省三

岩波書店 2011-03-19
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 著者自身の魯迅体験から始まり、魯迅の伝記や時代背景から、日本およびアジア各国における受容のされ方の変遷まで、豊富な情報を実直にまとめた魯迅入門。人口に膾炙した〈革命家・魯迅〉というあり方を決して否定はしないのだが、同時に、明日の命も危うい苛酷な日々のなかでも、お洒落な最新型マンションに住み、毎日のようにハイヤーを走らせてハリウッド映画を観に行く……といった魯迅像が生き生きと描かれているのがよい。

 全編にわたって、とても勉強になったが、ここでは一点だけ、毛沢東をめぐる記述を紹介しておく。

 毛沢東は、1936年の国防文学論戦(上海の中国共産党文化部門の指導者たちが、あらゆる作家に対し、中共主導の抗日民族統一戦線に参加し、抗日救亡の国防文学を創作するよう呼びかけた)の只中ですでに(その動きに基本的に賛同はしつつも留保を付けた)「魯迅を盾にして党内の敵対派閥を叩くという、巧みな戦術を展開していたが、魯迅の死後には、中国共産党統治の正統性を宣伝するために徹底して魯迅を利用していく」(209ページ)。毛は魯迅を「聖人」と呼び、中華人民共和国成立後の文芸官僚たちも、自らの独裁体制の正当化のために魯迅を利用し続けた。

 だが毛沢東は、1957年に上海で文化人グループに会見した際、「もしも今日、魯迅がまだ生きていたら、どうなっていたでしょうか」と問われ、次のように答えたのだという。

 私が思うに、牢屋に閉じ込められながらもなおも書こうとしているか、大勢を知って沈黙しているかだろう。

 こういう認識をもちつつ、そうであるがゆえに、全くそれに反する言動を徹底できる人、すなわち本質的に政治的な人間こそは、本当に恐ろしい。

 ところで本書には、魯迅の名短編「故郷」が日本のほぼすべての国語教科書に採られ、したがってこの三十年あまりの間、ほぼすべての日本人が魯迅の作品に学校で触れてきたという事情に言及しているが、僕自身は学校の授業で「故郷」を読んだ覚えがない。単に忘れているのかもしれないが、教科書で読んだ他の作品はけっこう印象深く覚えているものもあるので(たとえば、中学1年の時、安岡章太郎の短編「サーカスの馬」の続編を書いたことはありありと思い起こせる)、もしかしたら僕が受けた授業では扱われなかったのかもしれない。

 そういうわけで、僕自身が魯迅の作品を知ったのは高校生の時、倫理社会(という科目が当時あった)の資料集か何かに載っていた、「狂人日記」の一節が最初だったと思う。わけのわからない儒教の文献をじっと眺めていると、くねくねした墨の連なりのなかから「食人」という文字が浮かび上がってきた……というイメージに惹きつけられた。そして岩波文庫で「阿Q正伝」を読み、その人間理解の深さと批評性に圧倒された。ただし、これまで読まれてきた竹内好の手になる翻訳が、魯迅の逡巡や両義性をそぎ落とすように文体を整理し、時には意訳の域をも踏みこえた書き換えまで行なってきたことへの批判も、藤井の本には書かれている。