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香魚子『もう卵は殺さない』

もう卵は殺さない (マーガレットコミックス)もう卵は殺さない (マーガレットコミックス)
香魚子

集英社 2012-06-25
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 集英社別マ系純粋少女まんが系統樹の最先端・香魚子(あゆこ)の最新短編集。といっても6月に出ていたのを見落としていた。なんてこった……。

 4つの短編が収録されている。巻頭の「きょうはなんの日」は、ホワイトデーをめぐる高校生男女の、奇妙になまめかしく、異様に繊細な気持ちのやりとりを、わずか12ページで完璧に描く。これが『ヤングジャンプ』の増刊に掲載されたという事実には驚かずにはいられない。かつて、石坂啓『安穏族』が同じく創刊間もない『ヤンジャン』に載ったとき以来の(中高生男子に対する)教育的配慮が、集英社のまんが編集部には連綿と息づいているのだろうか? もし現在の平均的な高校生男子がこの作品を理解できるなら、時代は確かに変わったのだ。自戒とともに、そう願っている。

 二つめの「茉莉花にくちなし」は、「里見茉莉花17歳/顔も良ければ勉強もできる/落とした男は数知れず/女の憧れそして敵」と自分で言うキャラの持ち主である美少女・茉莉花が、突然心臓発作で死んでしまうが、成仏できずにふらふらしているうちに、「やっぱりあたしって/ここで死ぬべき人間じゃないと思うの」と一念発起し、冴えない同級生の野上支子(つかこ)の体を乗っ取ろうとする、という話。裏「秋日子かく語りき」というか、現代(邪悪)女子版よしもとよしともというか、古典的というべき設定に、しかし新しいニュアンスを盛り込んでいる。それにしても、ここでは物語はあくまでも茉莉花と支子との友情(としか、僕の語彙では呼びようがない何か)の深化を軸に展開し、たしかに茉莉花が生前つきあっていた男の子も好感度の高いキャラで出ては来るのだが、あくまで脇役でしかない。山川あいじについても思ったことだが、香魚子もたぶんそれほど「男と女のほれたはれた」には興味がないのだと思う。そうした作品が普通の男女恋愛ものに混じってさりげなく売られていることも、少女まんがの正統的進化であるにちがいない。

 三つめの「亘理くんとふれたなら」は、いわゆるアスペルガーっぽい少年と、ごく平凡な女子高校生である語り手との、三週間きりの奇妙な同居生活を描く。夏の終わりのような読後感は『レインマン』ぽく、少しラブコメの風味が加えてある。これも忘れがたい作品だ。

 しかし本書の白眉はやはりラストの表題作。制服の女子が包丁とピストルを持っている表紙はぶっそうだが、実はそういう話ではなく、「日の目をみなかった作品の主人公は、いったいどこへ行ってしまったのか」という作家的罪悪感のゆくえを探究するメタフィクションなのだ。少しでも真剣にまんが家や小説家になりたいと夢見たことのある人なら、心がざわめくだろう。そして、「表現者」たろうとする自意識とはまったく別の次元で、未熟なままに放置されかけた作品の卵を温め、孵そうと主人公が改めて決意するラストから、穏やかな勇気を分け与えられることだろう。