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『風立ちぬ』

 有楽町スカラ座に、十分な余裕をみて出かけていったのに、案の定、中央線が信号機なんたらの故障で遅れに遅れ、途中で見切りを付けて中野から地下鉄東西線に乗り換え、さらに飯田橋有楽町線に乗り換え、最後は有楽町駅から走りに走って、なんとか間に合った。受付のおねえさんは「まだ宣伝の途中ですよ」と優しく迎えてくれたけど、席についてからもしばらくは汗がだらだら流れ、もっていたティッシュすべてを費やして拭きまくらなければならなかった。

 それでも観に行ってよかったと思う。良い映画だった。ただし、山崎健太郎氏ほかも指摘しているように、基本的に『ナウシカ』や『トトロ』のような普遍性のある名作ではなく、そうした基準から評価するのはお門違いだ。これは、『紅の豚』が好きだという人、または『雑想ノート』の絵が動くというだけでわくわくできる人、そういう人たちのための映画である。『ハウル』でも、ストーリーよりもキャラクターよりも、あの飛行船が動く絵だけをずっと観ていたい……そういう人のための映画である。(ちなみに僕は『紅の豚』が大好きだ。ポルコ・ロッソの飛行は、J・G・バラードの「雲の彫刻」に重なるあざやかな美しさだった。あの作品の公開当時、「あまりのつまらなさに……」云々と書いていた若い人がいたが、ああ人間というのは根本的に異なっているんだなあと思った。この映画ではストーリーなんか別になくったっていいのだ。もっとも僕自身は飛行機や戦車はそれほど大好きというわけではないけれど、オーディオ製品やカメラ、一部のクルマなら誇張なく何日でも見続けていられるので、ある種のメカに途方もなく惹かれる感性はよくわかる。)

 ゼロ戦の開発者・堀越二郎をモデルにした主人公はとにかく飛びまくり、動きまくる。飛行機はもちろん、蒸気機関車、乗り合いバス、市電と、あらゆる乗り物で移動し続け、乗り物を降りても、町や野原を歩きまくる。もちろん風も吹きまくり、ときには突風になり、帽子を吹き飛ばす。でも『人間の証明』とは違って、それは失われない。逆に、風の悪戯が主人公と恋人を繰り返し結びつけるのだ。それを忙しなく慌ただしいカット割りと感じれば落ち着かず、一時も立ち止まらず移動し続ける主人公とともに競って進むなら活気溢れるドラマになる。そういう意味でも観る者を選ぶ映画だ。

 でも、この映画の本当のすばらしさは、実はそんなところにあるのではない。冒頭、少年二郎は夢の中を自作の飛行機で縦横無尽に飛びまわる。もうそのシーンだけで、そのとてつもない懐かしさのようなものに打ちのめされて、僕は泣きそうになってしまう。『未来少年コナン』のオープニング、主題歌のバックに流れる映像を思い起こした。大海原を、槍を持ち、サーフィンのような板きれに乗って闊歩するコナン。画面の中にそれらしき記号は何一つないのに、溢れかえるような未来感とSF感、すなわち懐かしさ。それと同種の何かが、『風立ちぬ』にもやはりある。とりあえず「懐かしさ」と呼んでおいたが、的確ではない。デヴィッド・ボウイの「スターマン」だけが喚起する感情があるのと同じように、宮崎駿の描く世界だけが与えてくれる心身のざわめきがある。それを何と呼べばいいのか、僕はいまだにわからない。その謎が明かされないかぎり、僕にとって、宮崎駿は比類なき表現者であり続ける。

 ただし、物語の中で重要な登場人物が語る「人が創造性を発揮できるのは10年間だけだ」という言葉は、全編を貫くもう一つのモチーフでもある。72歳の宮崎氏は、自分の最も――途轍もなく――創造的だった時間がすでに終わってしまったことを、確かに知っているのだ。最新作は、意地悪く表現すれば、老人が老人に向けた、ノスタルジーとセンチメンタリズムに充ち満ちた、しかも一部の男性(と極少数の女性)にしかピンとこないような飛行機愛を前面に出した、趣味的な小品に過ぎないかもしれない(実際、客席には老夫婦の姿が目立った。それはそれでイイ話なんだけど)。それだけではない。作品は夢に始まり、夢で終わる。関東大震災や空襲が重要な扱いをされるにもかかわらず、たとえば死が正面から描かれることもない。すべてが現実逃避だと言われれば、たぶん反論のしようがない。
 でも、それがどうだと言うのだろうか? これは紛れもなく痛切な反戦映画でもある。自らの才能によって無数のウヨオタをも虜にしてきたミリオタの巨匠による反戦映画。お笑い草だろうか。だが、たとえば大西巨人が、しばしば軍隊時代の自分が高射砲の操作に長けていたことを高らかに自慢するとき、僕は大西氏をより一層信用できるという気がする。僕も沖縄の浜辺で、いきなり降りてきた軍用ヘリを至近距離で目撃したとき、あまりのカッコ良さに呆然としたことがある。そして、それと厳密に同時に、このようなことはあってはならないと、心の底から叫びたくもなった。もちろんそれは矛盾だろう。だけど、そんなの知ったことか。『風立ちぬ』についての感想殴り書きということで、締めもポール・ヴァレリーから拝借することにしよう。――クソ真面目な精神に災いあれ!