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佐藤卓己『ヒューマニティーズ 歴史学』

歴史学 (ヒューマニティーズ)歴史学 (ヒューマニティーズ)
佐藤 卓己

岩波書店 2009-05-26
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 2009年刊。小著で自分史風の叙述も多いので、中身の薄い本になりそうな気がするが、そんなことはなく、学ぶことが多かった。
 以下は2000年刊の著作『ヒトラーの呪縛』についてのものだが、こうした展望は、今やいっそう重い警告になってしまっただろう。

 私は大学院生とともに、小説、映画、漫画、プラモデル、ロック音楽、陰謀論、インターネットなど可能な限りのデータを収集、分析するとともに、ネオ・ナチ右翼、制服マニア、オカルト作家などの本音を聞き出すべくインタビューも試みた。そこで、私は「ヒトラーが勝った文化戦争」に遭遇することになった。ヒトラーだけを比較を絶した悪のシンボルとする戦後文化が、この逆転した世界を可能にしたのである。ヒトラーが絶対悪の象徴となったことで、逆にヒトラーは現実政治を測る物差しとなった。キリスト教世界においては、絶対善である神からの距離によって人間の行為は価値づけられていた。一九世紀末にニーチェが宣言した「神の死」以後の今日、絶対悪のヒトラーがあらゆる価値の参照点に立っている。これを「ヒトラーの勝利」と呼ばないで、いかなる勝利が存在しようか。
 また、人間を悪魔化することは、人間の神格化への誘惑となる。ありあまる自由に息苦しさを感じ、価値の逆転を狙う「負け組」の目にそれは「神」と映らないだろうか。いまのところ、絶対悪=ヒトラーに帰依する社会的弱者は少数に過ぎないだろう。しかし、格差社会の進展の中で絶望した「負け組」が大量発生しないという保証はない。圧倒的多数の負け組を生み出すグローバル化の中で、ヒトラー民主主義を回避するためにはヒトラーの悪魔化よりも人間化こそが有効に思える。
 それは歴史の語り口の問題でもある。ナチズムに関する歴史叙述では、しばしば「(許すことが)できない」「(否定)せねばならない」などといった規律=訓練(ディシプリン)の話法が多用されてきた。しかし、この話法はそもそもナチズムの話法ではなかったか。ファシズムの話法でないファシズムの叙述がいまこそ必要なのである。さらに言えば、自らがファシストになる可能性に目を閉ざさないファシズム研究の必要性である。
佐藤卓己『ヒューマニティーズ 歴史学岩波書店、2009年、pp. 73-75)