デヴィッド・ボウイ「ヒーローズ」を和訳してみた

 中学生から高校生の頃にかけて、気に入った詩や歌詞を紙に書き写して透明な下敷き(今のクリアファイルみたいなもの)に挟んでいた。金子光晴訳のランボー「永遠」とか、ボブ・ディランの「激しい雨が降る」の原文とかだ。中三のときだったか、「永遠」の冒頭の一行、「とうとう見つかったよ」を僕が呟くと、O.Tが気取って「何がさ?」と応じ、僕が「永遠」と応え、一緒に爆笑するという、謎な遊びを自習時間中にやっていた(今でも不思議なのは、僕が今生で出逢った人間の中で一、二を争うキレッキレの面白いことを言うやつだったO.T君が、結局、からっきし勉強ができなかったことだ。今も時々、知性って何だろうと考えるときには、O.Tのことを思い出さずにはいられない)。
 そんな歌詞の中の一つがデヴィッド・ボウイの「ヒーローズ(英雄夢物語)」で、ライヴアルバム『ステージ』で初めて聴いたその曲に僕はずっと痺れっぱなしだった。少し遅れて、たぶん渋谷陽一のラジオで聴いた「スターマン」とともに、僕の生涯の宝物だ。今日は先日亡くなったボウイを追悼するために、""Heroes""の試訳と若干のコメントを書きとめておきたい。これまで、ときどきこの曲の数種の和訳を書物やネットで見かけてきたが、今ひとつ納得できるものがなかったので、拙訳を掲げておくことも何かの(誰かの)役に立つかもしれないと思う。とはいえ万全の自信があるわけでは全然ない。高校生のときに下敷きに挟んでいた拙訳からどれくらい進歩したかも怪しいものだが、誤りを指摘し、よりよい訳文を提示してくれる人が出てくるかもしれないことに期待しよう。
 なお、歌詞は1977年のスタジオアルバム版に拠る。邦盤の歌詞カードと自分なりの聞き取りによって原文を一応確定した。『ステージ』をはじめとして、さまざまなライヴ・ヴァージョンでボウイは少しずつ歌詞を変えて歌っているが、全体の意味が変わってしまうほどの変更はないと思う。シングル・ヴァージョンでは「君が泳げたらいいのに」というところから始まっていて、これはこれで企みを感じるが、僕としてはやはり違和感をぬぐえない。
 なお、原題の「"Heroes"」は、引用符を含めてタイトルになっている。ボウイはこの点について「皮肉」のニュアンスを込めたとインタビューで語っている。それも含めて、発表当時の邦題「英雄夢物語」が僕はけっこう好きだ。
 原文をまず掲げ、各連ごとに対応する和訳をつける。

デヴィッド・ボウイ「ヒーローズ(英雄夢物語)」(""Heroes"")


I, I will be king
And you, you will be queen
Though nothing will drive them away
We can beat them, just for one day
We can be Heroes, just for one day

僕は王になる
君は女王になる
やつらを追い払う者はいないけれど
僕らには打ち倒せる、一日だけなら
僕らは英雄になれる、一日だけなら


And you, you can be mean
And I, I'll drink all the time
'Cause we're lovers, and that is a fact
Yes we're lovers, and that is that

君はときどき困ったやつになり
僕はいつも飲んだくれてばかり
だって僕らは恋人同士 そういうこと
僕らは恋人同士 そういうわけさ


Though nothing, nothing will keep us together
We could steal time, just for one day
We can be Heroes, for ever and ever
What d'you say?

何もかもが僕らを引き離そうとしても
時間を手にすることはできる、一日だけなら
僕らは英雄になれる、いつまでも永遠に
君はどう思う?


I, I wish you could swim
Like the dolphins, like dolphins can swim
Though nothing, nothing will keep us together
We can beat them, for ever and ever
Oh we can be Heroes, just for one day

君が泳げたらいいのに
イルカのように イルカが泳ぐように
何もかもが僕らを引き離そうとしても
僕らはやつらを打ち倒せる、いつまでも永遠に
僕らは英雄になれる、一日だけなら


I, I will be king
And you, you will be queen
Though nothing will drive them away
We can be Heroes, just for one day
We can be us, just for one day

僕は王になる
そして君は女王になる
やつらを追い払うことはできなくても
僕らは英雄になれる、一日だけなら
僕らは一緒でいられる、一日だけなら


I, I can remember (I remember)
Standing, by the wall (by the wall)
And the guns shot above our heads (over our heads)
And we kissed, as though nothing could fall (nothing could fall)
And the shame was on the other side
Oh we can beat them, for ever and ever
Then we could be Heroes, just for one day

覚えているよ
あの壁の傍らに立って
頭上でいくつもの銃声が轟くなか
僕らはキスを交わした 何事もないかのように
恥じるべきなのはやつらの方だった
僕らは打ち倒せる、いつまでも永遠に
そうすれば僕らは英雄になるだろう、たった一日だけなら


We can be Heroes
We can be Heroes
We can be Heroes
Just for one day
We can be Heroes

僕らは英雄になれる
僕らは英雄になれる
僕らは英雄になれる
一日だけなら
僕らは英雄になれる


We're nothing, and nothing will help us
Maybe we're lying, then you better not stay
But we could be safer, just for one day

Oh-oh-oh-ohh, oh-oh-oh-ohh,
just for one day

とるにたらない僕らを救けてくれるものなどありはしない
たぶん何もかもが嘘だから 君はもう行った方がいい
でも僕らは切り抜けられる、一日だけなら
たった一日だけなら

 いくつかのコメントを。

1.ボウイのファンには有名な話だが、この曲が発表されてからしばらくの間、ボウイは「ベルリンのスタジオから見えた、壁の前で逢い引きする見知らぬ男女」の光景からインスピレーションを受けたと語っていた。しかしその後のインタビューでは、それは通りすがりの男女ではなく、アルバム『ヒーローズ』のプロデューサーであった盟友トニー・ヴィスコンティとある女性のことだったと打ち明けている。当時、ヴィスコンティはまだ前の妻と結婚していたので、ボウイはその事実を大っぴらに語ることを避けたのだった。ピーター&レニ・ギルマン『デヴィッド・ボウイ:神話の裏側』(野間けい子訳、1987年[1986]、CBSソニー出版)の442ページ以下によれば、ハンザ・スタジオからかろうじて見えるベルリンの壁の前で、トニー・ヴィスコンティが地元のシンガーであるアントニア・マースと腕を組んで歩いているのが見えたことがそのモチーフだった。そしてヴィスコンティ本人は、ボウイがそう言わなくても、当時から「あれは自分たちのことだ」とわかっていたのだという。

2.だがそれだけではない。同書によると、ベルリン表現主義に属する画家オットー・ミュラーの「庭壁の間で愛し合う二人」(1916年作)という題の、ブリュッケ美術館にある絵からもボウイは深甚なインスピレーションを得ていた。ボウイやイーノは、週のうち何日かはドラッグにはまっていたが、しかしクリーンな日は精力的に美術館などに出かけていたのだという。ミュラーの作品は、ブリュッケ美術館を紹介したサイトで観ることができる。なるほど、という感じの絵だ。

3.とりわけ印象的な第6連、ボウイが悲痛なシャウトで歌う箇所の、「恥ずべきなのはやつらの方だった」と訳した部分には多種多様な解釈がある。いちばん標準的なのは、"other side"を当時の東ドイツの国家体制とみるもので、たとえばPatrick MajorはBehind the Berlin Wall: East Germany and the Frontiers of Power (2011)という本でそのように解釈している。僕も同様の解釈に従った。

4.この曲を貫く、恋人同士が二人して王と女王になる、ただし一日だけ……というあまりにも強烈なモチーフは、アルチュール・ランボーの「イリュミナシオン」の中でもとりわけ印象的な「王座」(Royote)−−「王権」とか「王様」とか、いろいろな和訳がある−−の借用であろう。この詩も中学生の僕を夢中にさせたものの一つだった。この点については説明するまでもない、とりあえず拙訳を掲げておくので、見比べてみてほしい。

ある日のこと、とても温和な人々が住むところで、見目麗しい男女が街の広場に向かって叫んでいた。《諸君、私はこのひとを女王にしたい!》《私は女王になりたい!》女は笑い、震えていた。男は啓示について、終わった試練について人々に語った。二人は恍惚としながら身を寄せ合っていた。
実際、彼らはずっと王だった、深紅の幔幕が家々に掲げられた午前と、棕櫚の庭の方へと進んでいった午後のあいだは。(加藤秀一試訳)