『万物理論』ほか

 おとといの夜、新宿の紀伊國屋書店で、『情況』に載っていた宮台真司のインタビューを立ち読み。内容は短い現状報告と決意表明で、格別の内容はなかったが、読み通すのはつらかった。僕は昔から、事柄の神経管のようなものを素早く抉り出す宮台氏の眼力と手さばきには心底敬服している(と同時に、「急ぎすぎる!」と叫びたい気がすることも多いのだが)。それは個々の問題に関する「意見」の違いを超えたものだし、自分の発言が氏からどう批判されても変わらない。それに僕は、近代的民主主義国家を正気で制御して何とかやっていかねばならないのだという宮台氏の考えの土台そのものには完全に賛同しているのだ。
 だがこのインタビューを読んで僕が息苦しいような気持ちがしたのは、思想の内容のせいではない。宮台氏は従来は戦略的に発言していたが、いまはもう手の内をすべて明かすことにしたのだという。それで効力を失う思想は脆弱なのだと。そして自分は「右」であると宣言し、小林よしのりにも「本当の右」になってもらいたいと呼びかける。また「所詮でなく、あえて」というあまりにもわかりやすいスローガンを打ち出す。宮台氏のそうしたメタ言説はますます彼の言説にオーラを与え、ただ愚直に分析を語るだけの学者たちとは比べものにならないほどの数の読者を引きつけるだろう。そして、かつて小林秀雄だけを信じて戦場に赴き死んでいった若者たちがいたであろうように(柄谷行人はどこかでそのように小林を批判していた、言うまでもなく、言葉にそのような力を与えることのできた小林に対する自らの畏怖と怒りの分かちがたさを測りながら)、現在の日本には、宮台真司だけを信じ、その言説を貪るように待ち受けている若者たちが、はるかに数多くいるだろう。そのような読者のすべてを、宮台氏はある意味で<救済>しようとしているように見える。だが劇的に効く薬品は副作用も強い。自殺したかつての読者二人について、宮台氏が実存的にはその事実を引き受けるほかにないと明言するのを読むと、ものを言っていくにはそこまで自分を追いつめなければならないのかという思いに身が軋むのだ。

 遅まきながら、グレッグ・イーガン『万物理論』(山岸真訳、創元SF文庫)読了。最高。現代の小説に求めうるほぼすべてが、望みうる最もエキサイティングなかたちをとって、ここにある。手塚治虫『人間ども集まれ!』の超ハイパー化された21世紀版という趣もある。科学と反科学(特に創造論対進化論)、文化相対主義、バイオテクノロジーの可能性と悪夢、反グローバリズム宇宙論における「人間原理」、ユートピアの現実性、政治、愛、友情、ジェンダーの壊乱、サイバーパンクの日常化。これらのキーワードのどれか一つにでも胸躍る君なら、この壮大で超高速のハードなお伽噺に、必ずやられてしまうだろう。邦訳されたイーガンの長編の中では、もっともまとまっていて読みやすいので、初心者にも、短編集『祈りの海』(早川文庫)の次にお薦めできる。