YOSHII LOVINSON、SHERBETS

 2月のはじめにインフルエンザ(B型)にやられてしまい、一週間寝込んでから、どうも体調が良くない。喉がずっと乾いた感じで、咳もでる。たぶん気管支炎気味なのかな。そこに花粉症が加わって、いつもむずむずしている。もうこれからインフルエンザに罹る人はあまりいないかもしれないけれど、もしも風邪かな、と思ったら、念のため、すぐに病院にいって検査をしてみることを勧める。ぼくの場合は、最初の2日間はあまり熱がでなかったため、ただ寝ていたのだが、3日目になっていきなり高熱を発したのだ。それから病院でもらって抗ウィルス訳(タミフル)を飲んだのだが、遅きに失した。こいつはウィルスの増殖を抑える薬なので、なるべく早くから飲み始めて、ウィルスどもの勢いがつかないようにしなくてはならなかったのだ。

 YOSHII LOVINSONこと吉井和哉の新譜『WHITE ROOM』。これは感動的な傑作だ。イエロー・モンキー解散時以降、周囲の人間の態度がコロッと変わったことに傷ついたり、歳をとったという実感に沈んだり、ネガティヴな発言ばかりが多かった吉井だが、どん底のソロ第一作『at the BLACK HOLE』(必ずしも駄作というわけではないが、あまりに閉じた世界)を経て、いよいよ新しいステージに歩みを進めたことがビシバシ伝わってくる。スピッツ草野マサムネもそうだが、イエロー・モンキー後期からの吉井は、ラブソングに何かそれ以上のものを重ねて歌ってきた。たとえば本作中の、シングルにもなった「CALL ME」という曲は、僕に電話をくれ、呼んでくれというメッセージであると同時に、「召命」のことでもある。なんと官能的なプロテスタンティズム。そこで吉井は、自分がロックスターであることの必然性の確信を叫び求めているのだ。だがその相手は神様などにではない。そうではなく、恋愛対象である女にであり、そしてオーディエンスに対してである。ラブソングが真にリアルなものになる、この地点にたどりつかねばならなかった吉井和哉は、かつてコミュニケーションの絶望的な不毛を明るみに出すことで1970年代の幕を開けると共にそれを終わらせたデビッド・ボウイの正統な後継者であり、しかし同時に、オーディエンスとの見果てぬ一体感を崇高美学にまで高めたザ・フーのポジティヴネスをも受け継いだ、弱々しく、あまりにも脆い、ロックが終わった後にしかありえなかった真のロック・アイコンなのである。
 最新作では曲のバラエティが増して、アメリカンなテイストの曲に新境地が開かれているし、ベタに「イエモン!」という感じの曲でも、これが自分なのだというすがすがしい佇まいが感じられる。何より吉井の声に張りがあって、それだけでも嬉しくなる。

 神様という言葉が登場するロック・ソングで最も鮮烈だったのは、冒頭いきなり「神様 あなたは純粋な心を持っていますか」というフレーズが炸裂するブランキー・ジェット・シティ「おまえが欲しい」(『メタル・ムーン』)だ。浅井健一がBJCと平行してつくった実質的なソロアルバムであるSHERBET『セキララ』については、「ディスクガイド」のページに簡単な感想が書いてある。あのアルバムは「純粋」という日本語の定義そのものだった。ぼくの中では今もすべてのロックのレコードの中で三本の指に入る永遠の名作である。それ以来、BJCでもSHERBETSでもJUDEでも、駄作は一つとしてないものの、そこまで抜けきった作品を、浅井健一はつくってはいない。たぶん、ぼくの求めるものが乱暴で不当なのだろう。デビッド・ボウイに『ジギー・スターダスト』を毎年つくれと言っているようなものなのだから。それでも、浅井健一という唯一無二のミュージシャンに<それ>を求めるのでなければ、<それ>はどこにもないと最終的に断念するしかない。
 最新作のSHERBETS『natural』は、その中では、かなりぐっとくる傑作になっている。JUDEよりはAJICOに通じるような、深緑のタッチの静謐で緊迫感のある曲が多いが、そこに唐突に登場する軽快な「baby revolution」が楽しく意表を突いてくる。3万人の裸の赤ん坊がなぜかハイハイで行進をはじめ、その数が30万人に、3千万に、3億に、最後には30億に膨れあがって、世界中であらゆる紛争を止めてしまうのだ。あの「赤いタンバリン」に通じる、父親っぽさを感じて、何だかちょっと泣ける曲だ。ぜひNHKは「みんなのうた」に採用してもらいたい。
 ところで、BJC解散時(2000年)に書いた「読書日記」が、なにかの加減でこのサイトから消えていたので、ここに再掲載しておく。あれから5年も経ったのか。歳をとるということの一面は、時間のパースペクティヴが狂うということだが、それにしてもこの5年間に浅井健一はいったい何枚のアルバムをつくったのだろう。ぼくも負けてはいられない、と思う。別に勝ち負けを競っているわけではないのだが。


2000年10月23日

 十年前、僕は27歳で、ブランキー・ジェット・シティのメジャー・デビューに立ち会った。もうしばらく観なくなっていた『イカ天』の総集編をたまたま観て、番組が打ち切りになる直前に「イカ天キング」になった彼らが「狂った朝日」を演奏するビデオを目にしたのだった。なかなかいいじゃないか、と思った。心に引っかかった。「イカ天」のノリにはそぐわない雰囲気、何か不穏なものを感じたのだ。
 バンドの名前を覚えることはできなかったが、彼らのファースト・アルバム『RedGuitar and Truth』が出たとき、ジャケットを見て、これはあのバンドじゃないのかなと思った。そして、まだ池袋にあった貸しレコード屋『ジャニス』(あれ、これは今もお茶の水にあるやつだっけ?)で借りて聴いてみたのだ。

 ファースト・アルバムにはいくつも素晴らしい曲が入っている。オープニング・ナンバーの「CatWas Dead」はそれまで聴いたことのなかったリアルな歌詞とずっぱまりのメロウなメロディで彼らのデビューを飾るにふさわしい異様な曲だったし、もしも僕が生まれなかったらこのギターは誰が弾いていたんだろうという存在論的な不安を輪郭の定まらないまま形にした「狂った朝日」は最高にクールだった。中でも「僕の心を取り戻すために」は完全に新しい時代を切り拓く傑作だった。岡崎京子があそこまで深く分け入らなければならなかった世界の片隅に座り込んで、オレンジ・ジュースに透かして景色を見ている浅井健一のたたずまいこそがロックだった。ロックとは世界の片隅に座っている者の歌の名だ。しばしばロックの体験が恋愛に重ねて言葉にされてきたのはそのせいだ。波打ち際で無邪気に貝を拾っていた子どもが、突然大波にさらわれて、気がついたら見たこともない無人島にたどりつく。誰もいないし、声もとどかない。だがそこが世界の片隅であることだけはわかる。ずっと遠くの方に、世界の中心のかすかな灯りだけが見えるからだ。そうして、何とかして世界の中心へたどりつこうと、あらゆる手を尽くす。だが決してたどり着くことはできないし、そのことを誰よりよく知っているのは彼自身なのだ。それが恋愛の体験だとすれば、そうした場所で、誰に聴かせるのでもなく、自分のためでもなく、ただ歌われる歌をロックと呼ぶ。呼び方はどうでもよいけれど、ロックという言葉にはそうした歌がつねに含まれてきた。

 二枚目の『BANG!』は、1990年代の世界で最も重要なロック・アルバムのひとつだ。「冬のセーター」と「絶望という名の地下鉄」で、日本語のロックは本当にリアルな言葉を手に入れた。リアルであるからこそ、冷たい手触りの、朧気な気体のような歌だ。それほどまでに繊細で儚い言葉は、可能な限り強靱な音としてしか存在しえない。ブランキー・ジェット・シティのあの音は、だからオレンジの色のように必然的だった。

 彼らのラスト・ライブを収録したCD(1日目)とDVD(2日目、本当の最後のステージ)を聴いて、観ていて、彼らが解散することもまた必然的なのだということがはっきりとわかった。「赤いタンバリン」に出てくる「あの娘」は、オレンジ・ジュースとミルクを混ぜながら、夕暮れ時ってさびしいとつぶやく。そんな彼女がタンバリンを打つのを観ながら、未来がだんだん好きになると思う語り手は、もう「僕の心」を取り戻したのだろう。それとも、取り戻す必要そのものがなくなったのかもしれない。「赤いタンバリン」は、浅井健一が自分の娘のイメージから作ったに違いないと主張する人がいた。そう思って聴き直してみると、確かにそうとしか思えなくなってくる。ちょっぴり、藤子F不二雄の名作「劇画オバQ」みたいな寂しさを感じる。

 1990年代の、少なくとも僕にとって、たぶんこの世界そのものにとって、最も重要で最もリアルだったロック・バンドが活動を終えたのだ。気がついたら十年間が飛び去っていた。『ラスト・ダンス』のDVDのなかで、もう浅井健一は、僕が何年も前に渋谷公会堂で観たときのようにはダンスしていない。バンドの音とグルーブはより研ぎ澄まされ、声は奇蹟のようにあのときのまま、透明なままだけれど。