グロリア・スタイネムとベティ・フリーダン

 先週はモントリオールで開かれたアメリ社会学会の年次大会に行ってきた。いろいろ面白いことがあったけど、いちばん感慨深かったのはグロリア・スタイネムさんの特別講演を聴いて、顔を拝めたこと。グロリア・スタイネムとは、1970年前後に『Ms』マガジンを創刊するなど、ウィメンズ・リベレーションの一翼を担った超大物なのだ。それにしても堂々として、話がうまく、人間的魅力をつねに発散しているような人だった。講演の内容そのものは「これからも闘いつづけましょう」的なものであまり意外性はなかったけど、「死後の生のほうが生そのものよりも重要視される」考えがこの世界にのさばっているというフレーズには、やはり胸を打たれた。

 昨夜はNYヤンキースの試合中継が雨で中断しているあいだにTVのチャンネルを適当にいじっていたら、ニューヨーク市立大学(CUNY) の番組でベティ・フリーダンが出ていた。言うまでもなく1960年代に『フェミニン・ミスティーク』でセンセーションを巻き起こし、全米女性機構(NOW)を創始して、ウィメンズ・リベレーションに導火した人物である。といってもこちらは故人なので、何年か前に撮影されたもので、内容からいって『老いの泉』という著書刊行後すぐだろう。この人は晩年はかなり魔女風の風貌だが、あくまでも信念に忠実に生きるという、いかにもアメリカの知識人らしい風情にはとりあえず唸らされる。フリーダンは1975年の世界女性会議メキシコ大会にアメリカ代表団の団長として出かけていって、第三世界からの代表者たちに先進国白人中産階級の高学歴女性のことしか目に入っていないと痛烈に批判されたそうだが、その後も根本的にはアメリカ人のことしか語らなかったように思う。縁あってぼくが書評も書いた『ビヨンド・ジェンダー』という本でも、その限界というか、一貫性は変わっていなかった。それなりに鋭い指摘もしている本ではあるんだけど。なぜかリチャード・ニクソンを思い出す。あれほどの悪事を行なって地位を失いながら、終生ひるむことなく、名誉回復のために動き続けたニクソン

 写真はスタイナム(ブレブレだし、肖像権は大丈夫でしょう)と、モントリオール郊外のサファリパークにいたうり坊
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