マインド

 慌ただしく帰国してから、はや1ヶ月近く。マンハッタンに比べても新宿あたりの人混みはすさまじく、また人々の動線が入り乱れているせいもあって、3分も歩くとげんなりする。リハビリには時間がかかりそうだ。

 今週は、信原幸弘編『シリーズ心の哲学? 翻訳篇』(勁草書房)を読んでいて、あまりにもムズかしく、基礎教養の不足を痛感し、出直すために<心の哲学の包括的な「入門書」>と銘打ったジョン・R・サール『マインド』(朝日出版社)を読む。とっても面白かった。サールの書いたものは『言語行為』(勁草書房)ぐらいしか読んだことがないが、どうも最終的な結論には納得できない感が残るものの、独特のブリリアントな切れ味のある考察を繰りひろげる人という印象があった。この本でもそれは同じ。心の哲学といわず、現代哲学一般にほんとうの興味がある人には自信をもってお勧めできる一冊だ。訳文もこなれているし、訳注も役に立つ。丁寧な仕事だ。10年前にバークレーで聴いたサール先生の異様に調子の良い名講義の口調を思い出した。

 内容に関しては、「生物学的自然主義」というサールの立脚点には完全に同感できるものの、彼の議論は結局のところ随伴説の洗練されたもの以上のものではないのでは?という疑問が残った。心的現象と物理現象との関係をめぐって、本質的に1人称的である前者は本質的に3人称的である後者に「因果的還元」はできるが「存在論的還元」はできない、したがってどちらの意味で「還元」という概念を用いるかに注意しなければならないという整理は見事だが、これって問題の解決になっているのかな? 3人称的な因果関係が作動するときに1人称の「存在論」的ステータスをもつ現象がそれに伴って生起するということの謎そのものは、「そういうものなんだ」という以上の分析がなされていないような気がした。かといって、そんなのは虚偽問題であると明確に言い切っているわけでもない。もっとも、そこがサールさんの良いところで、『自由は進化する』のダニエル・デネットのように、「心」なんて無駄だと、精緻な論証も抜きでとにかく信じろというような態度よりはずっと誠実だと思ったけれども。他の論点についても、サールは随所で<これは不十分な議論だと承知してはいるが、いま自分が言えるのはここまでだ>という言明をしていて好ましい。
 さてと、またパーフィット『理由と人格』の再検討に戻らんとな。