テロリズム

 息切れし、頭痛に苛まれながら、『さようなら、私の本よ!』読了。作者のきわめて微細かつ重層的な叙述を暴力的に要約すれば、これは9・11以降においてテロリズムの肯定的可能性を恢復させる探索である。もちろんそんな言い方は一面的にすぎる。ここでも大江氏は「非暴力」「戦後民主主義」の公式な地神としての相貌を崩してはいないのだから。しかしそのことを最大限認めてもなお、ここには、これまでの大江作品を特徴づけてきた「なしくずしの暴力」の噴出ではない、より制御された小さな暴力への肯定的な態度が感じられる(それをも「暴力」という言葉であえて呼ぶならば)。そのことが現在という「弱者どものナショナリズム」の時代において、どれほど恐るべき悪意と強靱な希望に裏打ちされたふるまいであるかを理解し得ない人と、何か重要な問題について話すことはまったくの無駄である、と思わざるを得ないほどだ。