快原理の彼岸

 岩波から刊行中のフロイト全集で、久しぶりに読んだ。これまでは「快感原則(Lustprinzips)の彼岸」と訳されてきた歴史的論文の新しい邦訳。いままでに僕が読んだいくつかの邦訳のなかではいちばん読みやすい。
 種と個との関係をめぐって、「集合的無意識」といったベタベタな概念で個と種の対立そのものをないことにしてしまうことなく、両者の対立点を見据えつつ、なお個の心(反復強迫)からそれを必然的なものとする種の歴史(=進化史)へと突き抜けるフロイト先生。何度読んでも、驚き呆れつつ感嘆させられずにはいない、驀進する思考(≒大法螺)の迫力と、それによってもたらされる人間洞察のキレに惚れ惚れする。

結局のところ、有機体はただ自分のやり方でのみ死のうとするのである。生の番人である欲動も、もともとは死の衛星なのである。その場合しかし、生きた有機体は、その生の目標に短い道のりで(いわば、ショートカットで)到達させてくれる働きかけ(すなわち、危険)には、あらん限りの力で反抗するという逆説が生ずるが、そうした反抗の振舞いは知的追求の努力などではなく、逆に純粋に欲動的な追求の努力の特徴を示すものである。
 しかしよく考えてみるなら、そんなことはありえないではないか!(……)