The Who Live at Saitama

 僕が初めて買ったザ・フーのレコードは、1982年の解散ツアーのライブ版『フーズ・ラスト』で、つまりザ・フーがまさに終わった瞬間にようやく聴き始めたのだった。現在、このアルバムの評価はあまり高くない。しかし僕は、ここに聴ける真摯さと疲労感につかまえられた。それからはザ・フーのすべてのアルバム(もうCD時代に入っていたが)を遡行して手に入れ、映像ものもだいたい揃えた(VHSのビデオテープばかりなので、ブルーレイで出るようになったらまた全部そろえたいと思っている)。
 僕にとって、ロック・バンドとはザ・フーのことだし、そうでなければロックなど存在しない。

 『フーズ・ラスト』をのめり込むように聴いた25年前orz、まさかいつか日本でザ・フーを観ることができるとは想像もしなかった。それが今から4年前、ロック・オデッセイというイベントで、数曲だったがピート・タウンゼントロジャー・ダルトリー2人だけが生き残ったザ・フーを観ることができた。生きていて良かったと思い、また近い将来、今度は単独の来日公演があるのではないかと期待した。それが実現したわけだ。ザ・フーを観るために、「さいたまスーパーアリーナ」というところに初めて出かけた。

 ピートとロジャーはますますジジイになっていた。ロジャーは無意味にマイクを振り回し、ピートは相変わらず謎なMCを繰り広げた。ピートは「愛の支配」で音をハズしまくり、ロジャーはこともあろうに「無法の世界」で小節のカウントを間違えた。ドラムのザック・スターキーがあんなに元気じゃなかったら、もっと痛いことになっていただろう。
 だが、それは紛れもなくザ・フーのコンサートだった。近年、大したヒット作のない彼らは日本にまで金を稼ぎに来たに違いない。それはロックの本質に属することだ。そして(しかし、ではなく)、その先に響かせられた音は、他のいかなるバンドよりも真摯な、やむにやまれぬ、深いコミュニケーションへの憧憬に満ちていた。観客を、ファンをキリストに見立てたかのような名曲「シー・ミー、フィール・ミー」の、何万回か繰り返されたはずの演奏は、いまもなおいくらか青ざめて、胸を締めつける。しかもこの大定番曲がラストではなく、その後にピートのアコギとロジャーの歌だけの静かな曲をさらりとやって締めくくったのもよかった。それは、『フーズ・ラスト』のラストナンバーが「ツイスト・アンド・シャウト」のカバーだったのと同じように、ザ・フーがまだまだ続くことを密かに宣言する策略にちがいない。かれらはもっともっとジジイになって、腰が立たなくなっても、やりつづけるつもりなのだ。

 どこかで鮎川誠が言っていた。どうしてみんな、好きで始めたロックなのに、歳をとると引退してしまうのか。自分はやめるなんてこれっぽっちも思わない、ただ、客の高年齢化に対応して、必ず椅子のある会場でライブをやると(笑)。かっこいいぜ、鮎川誠。オレも右手をやみくもにぶん回してギターを弾くようなジジイになろう(だがそのためには体力づくりをしないと)。

 そういうわけで、明日は武道館。

フーズ・ラストフーズ・ラスト
ザ・フー

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