江口聡編『妊娠中絶の生命倫理』

妊娠中絶の生命倫理妊娠中絶の生命倫理
江口 聡

勁草書房 2011-10-11
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 編者からいただいたもの。どうもありがとうございました。昨年秋の応用哲学会直後にお送りくださったので、ずいぶん前のことになってしまった。僕もその昔、妊娠中絶の倫理問題についていくらかのことを書いたことがあり、そのとき本書に収録された論文のいくつかも参照したが、それからもう20年以上経ったので、せっかくならこの機会に何かまとまったことを書いておきたいな、とも思ったのだが……。なかなか時間がとれないので、紹介だけしておく。
 内容については、編者によるサポートページに詳しいが、ご参考までに収録論文とそれぞれについての編者によるコメントだけ引き写しておこう。

  1. ジョン・ヌーナン、「歴史上ほぼ絶対的な価値」(抄)(太田徹訳)。典型的なプロライフです。胎児も人間であり、人間の命には平等な絶対的価値がある、と主張しています。
  2. ジュディス・ジャーヴィス・トムソン、「妊娠中絶の擁護」(塚原久美訳)。紹介さえ不要な超超有名論文。応用倫理学で一番有名な論文でしょう。ただし『バイオエシックスの基礎』では抄訳でしたが、今回は全訳しています。抄訳しか読まないでこの論文に言及していた人は 必ず 読みなおしてください。読みなおさずに生命倫理学の議論する人は今後インチキ生命倫理学者と認定される可能性があります。この議論は「ヴァイオリニストの議論」と呼ばれるよりも、「サマリア人の議論」と呼ばれるのが正しいはずです。
  3. バルーク・ブロディ、「妊娠中絶に関するトムソンの議論」(藤枝真訳)。トムソンの議論を自己防衛の議論ととらえて批判しています。
  4. ジョン・フィニス、「妊娠中絶の是非:ジュディス・トムソンへの応答」(小城拓理訳)。カトリック倫理学を背景にした立場からトムソンを全力で批判しています。難解ですが、「権利」と「二重帰結の教義」に関する非常に重要な分析を含んでいます2。
  5. マイケル・トゥーリー、「妊娠中絶と新生児殺し」(神崎宣次訳)。「パーソン論」の超有名論文。これも紹介不要でしょうが、今回は全訳です。これも抄訳しか読んだことのない人は必ず読んでください。「胎児は人格を持つか」という旧訳のタイトルを使うのは非常にミスリーディングなので今後お控えください。
  6. メアリ・アン・ウォレン、「妊娠中絶の道徳的・法的位置づけ」(鶴田尚美訳)。トゥーリーより一般に受けいれられた「パーソン論」。おそらくこっちの方が標準的な「パーソン論」です。
  7. ジェーン・イングリッシュ、「妊娠中絶と「ひと」の概念」(相澤伸依訳)。「パーソン論なんか意味ないよ、重要なのは感情だよ」とすでに1975年に主張しています。日本では知られなかった早逝の秀才。
  8. R. M. ヘア、「妊娠中絶と黄金律」(奥野満里子訳)。トムソンもフィニスもトゥーリーも権利など曖昧な概念を使って直観で考えてるだけだからぜんぜんダメだよ、と主張しています。ところがちゃんと考えると、「潜在的なひとびと」や「可能的なひとびと」をめぐる異常に難解な問題が生じることがわかってしまう。ヘアの有名な二層理論が本格的に使われはじめた重要論文です。またおそらくパーフィットの『理由と人格』などにつながる複雑な問題の出発点の一つになっています。
  9. ドン・マーキス、「なぜ妊娠中絶は不道徳なのか」(山本圭一郎訳)。現在のところ、しばしば「最善の世俗的反中絶論」と評価されている問題論文です。中絶は殺人とまったく同じくらい悪い、と主張しています。おそらくこの論文が「死の悪さ」をめぐる形而上学的な議論の流行の出発点になっています。
  10. ロザリンド・ハーストハウス、「徳理論と妊娠中絶」(林誓雄訳)。義務論も功利主義もそもそもの考え方の枠組みがまちがっておる、倫理学者はもっと徳とか悪徳とかどういう人物であるかってことに注目するのじゃ!とカツを入れています。徳倫理学の魅力を広く知らしめることになった好論文です。
  11. スーザン・シャーウィン、「フェミニスト倫理学のレンズを通して見た妊娠中絶」(江口聡訳)。標準的なフェミニスト的議論と言えると思います。フェミニストの議論は他にもいろいろ重要なものがあるのですが、今回は紹介しきれませんでした。

 二番目の有名なトムソン論文についてのコメントは、まさにその通り。旧い邦訳が抄訳であるだけでなく重大な誤訳を含んでいることは僕自身も指摘したことがあるが、その後もこの論文をまじめに読まんでいないことが明らかな文芸評論家が「誘拐されてむりやり他人に繋がれたバイオリニストの事例なぞもってきたって、自発的にセックスして妊娠した場合の中絶とは全然意味が違うのだから、無意味な議論だ」(大意)みたいな恥ずかしいことをほざいていたり(もちろんトムソンはちゃんとそういう問題にも触れている)、議論はあまり深まっていないように見える。もっとも僕自身も、かつて「女性の自己決定権の擁護」やその「再論」を書いたときには混乱していた部分もあったし、その後、この領域について知見を深めていたわけではないので、あまり大きなことは言えない。
 なお、僕自身の目下の関心から言えば、本書の白眉は、R・M・ヘアの歴史的問題作「妊娠中絶と黄金律」である。ひと=個が存在するとはどういうことか。私たちはそれをどのようなものとして〈考えて〉いて、それは私たちの〈生きて〉いるこの社会の秩序とどういう関係があるのか。これも編者がコメントしているように、パーフィットが強力に切り拓いた問題にリンクする射程をもっている。