『自分の時間へ』『思想の冬の時代に』『眠る男』

自分の時間へ自分の時間へ
長田 弘

講談社 1996-06
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 古本屋から届いた長田弘のエッセイ集『自分の時間へ』を読んでいて、フランス文学者の海老坂武さんについて書かれた一節に出会った(「負けるが勝ちのこと」)。長田弘の父親は昭和初期の優れた野球選手だったのだが、進学直前の親の死やプロ野球入り直前の応召などの不運が重なり、結局期待されたような活躍ができなかったということ。その父親が豪打の捕手だったことから、話題は戦後のプロ野球で強打者が並ぶ阪神タイガースの五番打者として鳴らした捕手・土井垣武に移り、そこから「杉浦武が投げ長嶋茂雄が打ったシーズンに、打撃ベスト5に名をつらねた東大の捕手」の話になる。それが後のフランス文学者・海老坂武だった。やがて60年代半ばに長田は雑誌『文学』で、海老坂毅という未知の気鋭のフランス文学者によるサルトルの「負けるが勝ち」という思想についての卓抜な文章を読むことになる。後に海老坂と邂逅した長田は、「毅」ではなく本名の「武」であるべきだと強引に繰り返したのだという。ただし海老坂さんのポジションは捕手ではなく遊撃手だったようだが。

 大学時代、1年生の時に第二外国語のフランス語を徹底してサボった僕は、一年の終わり頃にはさすがにこれではいかんと思い直し、2年時には厳しいと評判の3人の先生の授業をとった。その一つが鈴木道彦先生のサルトルやフィリップ・スーポーの講読で、もう一つが海老坂先生のシャンソンの歌詞を読む授業だった(ちなみに3つめは佐野先生という方のマルグリット・ユルスナールの講読だったと記憶しているが、これはちょっとあやふや)。当時、海老坂先生は50がらみ、鈴木先生はその5歳上で、自分が彼らの当時の年齢に近づいていることをふと思い起こすたびに愕然とする。すでに大学院時代の指導教授だった馬場修一先生の年齢(48歳)に並んでしまったときにも感慨があったが、次第にこうした経験が増えてきた。あたりまえすぎることだけれども。

 海老坂武の文章の中で特に印象に残っているのは、1992年に出た『思想の冬の時代に』だ。この本の白眉は、1989年から91年にかけてフランスに滞在していた海老坂さんによる、湾岸戦争をめぐって激しく議論を戦わせるフランスの政治・言論状況についてのレポート「第4章 湾岸戦争日録」だが、その中の、イラク空爆後の1991年2月21日の日付をもつ日録に、ヒヤリとする一節がある。「日頃はマスコミでよく発言しながら、この時期になっても沈黙を守っている者、第一にデリダ、第二にソレルス。彼らが沈黙をしつつ現状を是認したことを私は忘れないだろう」(p.181)。その後、戦争がひとまず終わってから、デリダ湾岸戦争中の日付を記した本を出した。これについては当時、今はなき異色の雑誌『季刊 窓』で、米谷匡史君も触れていたと思う(院生時代、僕は、市野川容孝、稲葉振一郎、住吉雅美、朝日新聞学芸部の村山正司、米谷匡史らと一緒に、『窓』の書評欄を無給で書いていたのだ)。

 もう一つ、海老坂さんの仕事で印象に残っているのは、もっとずっと前、学生の時に国立の古本屋で買った、若きジョルジュ・ペレックによる傑作『眠る男』の翻訳だ。68年前夜の鬱屈し沈滞した若い男の日常を二人称の研ぎ澄まされた文体で描き出す小説。うろおぼえではあるが、「おまえは沈黙を恐れている。/だがおまえこそは、誰よりも沈黙の多い男ではないのか」というフレーズが脳髄に刻まれた。当時の僕にとっては、ポール・ニザン『アデン・アラビア』よりずっと浸透力の強い小説だった。退屈な人間ほど退屈がるというこの真理は、その後の自分にとってのささやかな戒めとなった。

思想の冬の時代に―「東欧」、「湾岸」そして民主主義思想の冬の時代に―「東欧」、「湾岸」そして民主主義
海老坂 武

岩波書店 1992-12-11
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