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くるり

 池袋パルコに向かって右手、ガード下のほうにちょっと入ったところのファッション・ビルの最上階には石橋楽器、その下にはタワーレコードがあって、院生時代、池袋駅から有楽町線で埼玉方面に一駅出たところの要町に住んでいた頃は、毎日のように通っていた。僕は小さい頃は東京都北区、その後大学に入るまでは所沢に住んでいたので、その頃までは池袋がいちばん身近な街だった。

 数年前、正確には西暦2000年の初春だったはずだが、その(いまは無き)タワーレコードに、なぜかは覚えていないが、久しぶりに立ち寄った。そして店員が手書きした推薦文のフリップを読んで、ふむふむと『図鑑』をヘッドホンで聴いてみたのが、くるりを聴いた最初だ。その推薦文は熱かった。細かくは覚えていないが、「人間のあらゆる感情が吹き荒れている」といった意味のことが書かれてあった。そこまで言うなら聴くしかないではないか。
 そして僕はすぐに、その文句がけっして大仰ではないことを理解したのだった。嘘だとおもうなら、『図鑑』の3曲目「青い空」を聴いてみればいい。それでも足りなければ、11曲目の「街」も聴いてくれ。様式的なハードロックの表面的な激しさなんかじゃない。これらの曲は、僕には、たとえば森進一の孤高の名曲「冬の旅」に追いすがるような、存在そのものがうち震えているような高鳴りを感じる。超ハイパー・ハード演歌。もちろん僕が言っているのは、80年代後半以降の、これもまた様式化(=カラオケで歌いやすいように低レベルに均質化)された演歌のことではない。

 しかしその後、くるりはどんどん変転し続ける。当然だ、ロックンロールなのだから。音的にはテクノっぽい曲が増え、同時にかつての捻りまくった曲作りからすると肩すかしを食わされたような印象の開放的で爽やかな曲が出てくるようになった。前者を代表するのが「赤い電車」(『NIKKI』)、後者の代表格はもちろん「ロックンロール」(『アンテナ』)で、両者の要素を兼ね備えた、現時点におけるくるりの到達点が「ハイウェイ」である。
 僕が感慨深く思うのは、このように音が変化してゆくのとぴったり相伴いながら、歌詞も変化、というよりも脱皮しつづけてきたことだ。つまりそれは、岸田繁が音楽家というよりも、「歌」をうたう人だということだ。彼の書く詞のテーマは一貫してジャンルとしてのラブソングであって、ひとが恋愛のみにおいて経験しうるであろう、あの言いようのない暴力的なエモーションについて、飽くことなく歌い続けている。それは変わらない。けれども、かつての、とにかく君のことを考えているよ、僕のことも考えておくれ、僕に優しくしてよ、という、浅田彰流に言えば単なる欲望垂れ流しめいた歌詞が少しずつ後退して、もっとアニキっぽい語り口が目立つようになった。でもそれは岸田繁のいかにもおたくっぽい佇まいとは裏腹に、とってもヤバイアニキだ。「ハイウェイ」で彼は、聴く者をワイルドサイドに転落させるように優しくそそのかす。

 飛び出せジョニー(……)身ぐるみ全部剥がされちゃいな(……)
 全部後回しにしちゃいな
 勇気なんていらないぜ
 僕には旅に出る理由なんて何一つない
 手を離してみようぜ
 (くるり「ハイウェイ」)

 最初、最近僕が勝手に自分の音楽師匠と決めているあるオッサンのブログでこの断片を目にしたとき、ゾクッとしたけれど、そのとき僕は意味を読み違えていた。つまり、Jポップ的な、前向きに生きていけ〜みたいな歌詞への皮肉、アンチテーゼを含んだ、要するに逆説と理解したのだ。でも、歌詞全体を聴いたらそうではなかった(というか、それだけではなかった)。たしかに逆説ではあるのだが、それは直接には、「僕が旅に出る理由はだいたい百個ぐらいあって」という冒頭の一行、そしてそれに続いて列挙されるその具体的な理由の数々(3つだけだけど)に対する批評なのだった。そうだとすると、「勇気なんていらないぜ」の基本的な意味は、ごちゃごちゃ御託を並べてないでとにかくやっちゃいな、という(ピンクレディによる「イン・ザ・ネイビー」のカバー日本語詞を思い出させる)、別のポジティヴなメッセージであるということになる。
 でも、それはそれで素敵なのだけれど、何かすっきりとは収まらない。「勇気」でも「理由」でもないとしたら、「手を離して」みるのはなぜなのだろうか? それが「旅」ではないのだとしたら、いったい何なのだろうか?
 「ハイウェイ」の歌詞はシンプルに研ぎ澄まされて、だからこそ重層的で難解だ。まるで友部正人の「遠い国の日時計」や「すばらしいさよなら」のように。そして、やはりこれらの曲と同じように、僕らの座っているこの場所をそのまま別の場所に変えてしまう。目に映る景色も、周りの人々の顔も、何一つさっきまでと違ってはいないのに。ピンク・フロイドがあれほど自覚的に追い求めつづけた意識変革を駆け抜けるように達成してしまうロックンロールの魔法。最近、夏の野外フェスでの発言が生意気だとか、他人とのコラボレーションがいかにも売れ線ねらいでいやだとか、何のためにロック聴いてんだと言いたくなるような非難も投げかけられているくるり(というか岸田繁)には、より一層ゴーマンを極めたロックンロール・アニキ道を突き進んでもらいたい。そして少年少女を、少しだけ「悪く」(c.桑田圭祐)するような、つまり自由にするような、少し毒薬の匂いのする軽やかな風を、吹かせ続けてほしい。

 晴れわたる空の色 忘れない日々のこと
 溶けてく景色はいつもこんなに迷ってるのに
 8の字描くように無限のビート グライダー飛ぶよ
 さよなら また明日 言わなきゃいけないな
くるり「ロックンロール」)