ボブ・ディラン「アイ・シャル・ビー・リリースト」を訳してみた
友人が貸してくれたザ・バンド『ラスト・ワルツ』の完全版DVD(マーティン・スコセッシの映画版に入っていない場面〔ただしモノクロ〕と音源〔すべてオーヴァーダブされていない当日の音そのまま〕を復活させたバージョン)を観て満腹したのだが(好き者にとっては映画版の100倍面白かったです)、最後にボーナス・トラックとしてついている「アイ・シャル・ビー・リリースト」スタジオ録音風景にかぶせられた字幕の和訳が、いくらなんでもそりゃ違うでしょというモノだったので、拙訳を挙げておくことにした。
これに限らず、このちょっとググってみると、DVDと同様の意味不明の訳を出している人がいっぱいいて頭を抱える。以下の拙訳が完璧だとか最良だとかいうつもりは毛頭ないが、いくらなんでも「刑務所に入れられた囚人の視点から歌われた歌」という基本中の基本を押さえていなければ話にならないでしょう。もちろんディラン自身がある程度その辺をぼかしたからこそ抽象的な歌詞になり、そのぶん普遍性が増したわけだが、それでも普通に読めばモチーフはわかるはずだし、ちょっと調べれば裏付けも取れる。実際、友部正人さんは自分で訳してカバーしているが、ほぼ直訳でちゃんと囚人の叫びという内容を伝え、しかも日本語の歌として成立している。さすがというほかないが、そういう先例があるにもかかわらず、「自分を犯罪者にしたやつら」とでもすべきところを「僕がいままで出会った人たち」みたいに、ほぼ真逆の意味にして意味不明の「ちょっといい話」風に仕立て上げてしまうのはけしからん。
というわけで、以下が拙訳。そのあとに若干の解説を記し、最後に原文を掲げておく。
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俺は解放される
どんなことも償われるというけれど
すぐにそうなるわけじゃない
だから俺は 俺をここにぶち込んだやつら
みんなの顔を覚えておこう
俺の光が見えてきた
西から東へと ひろがってゆく
いつかきっと、今すぐにでも
俺は解放されるんだ
誰にでも保護が必要だという
誰だって罪を犯すのだからと
でも誓って言うが 俺の本当の姿が見えるのは
この壁よりもずっと高いところ
俺の光が見えてきた
西から東へと ひろがってゆく
いつかきっと、今すぐにでも
俺は解放されるんだ
この孤独な群れのなかで 俺の隣に立ち尽くし
自分は誓って無実だと言う男
罠にはめられたんだと 声をからして叫ぶ
その声が 絶えることなく聞こえてくる
俺の光が見えてきた
西から東へと ひろがってゆく
いつかきっと、今すぐにでも
俺は解放されるんだ
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いくつかのポイントを解説していこう。
1)まずは、"I see my light come shining / From the west unto the east"という印象的なリフレイン。Michael Gray, Song and Dance Man III, 2000, p. 200によると、この表現自体はわりとありがちなもので、『新約聖書』マタイ伝24:27で『旧約』の「ダニエル書」をイエスが引用して言う“For as the lightning cometh out of the east, and shineth even unto the west; so shall also the coming of the Son of man be.”(「稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子も来るからである」『新共同訳』)という表現をふまえているという。ただし、常套句だからダメというわけではなく、ディランはこの借用をうまく印象的に使っているのだという。もっとも、借用といっても、マタイでは「東から西へ」だがディランは「西から東へ」と反転させている。これにはどういう意味があるのだろうか?
なお興味深いのは、マタイ伝の文章は、「光」を讃えるものではなかったということだ。そこでイエス・キリストは、「憎むべき破壊者」がもたらす「苦難」の日々において、偽メシアや偽預言者たちの言葉に惑わされてはならないと説教しており、その文脈で語られる「稲妻が東から西へひらめき渡る」という荘厳なシーンは、人はついそれに引き寄せられて見に行ってしまうものだという注意喚起のために持ち出されており、次の「死体のある所には、はげ鷹が集まるものだ」という陰惨なフレーズと並んで、偽預言者の言葉に惑わされやすい人間の本性的な弱さのことを指しているのである。
ディランはその崇高美学的な稲妻のイメージを借用して、〈解放=釈放〉の希望のシンボルに仕立て上げた。「自由の鐘」にも稲妻が登場することを思い起こすと、ディランにとっての稲妻とは、自由あるいは解放のイメージそのものであるのかもしれない。むしろ逆に、ディランは自由あるいは解放を稲妻のようなイメージで捉えていると言うべきか。
2)「俺の本当の姿が見えるのは/この壁よりもずっと高いところ」(I see my reflection / Some place so high above this wall)と訳しておいた箇所は、同じGrayの本(p. 28)によると、「ロイヤル運河」(The Royal Canal)という歌にインスパイアされたものだろうという。この歌の中に、「カモメが壁の上を舞っている」というフレーズが出てくるのである。
「ロイヤル運河」は別名(というか、こっちが元歌)「古いトライアングル」(The Auld Triangle)という歌で、劇作家ブレンダン・ビーハン(Brendan Behan)の最初の作品「死刑囚」(The Quare Fellow、1964年初演)で繰り返し歌われた。それがいつのまにか「ロイヤル運河」というタイトルで、フォークシンガーたちに歌われるようになり、ディランがニューヨークに出てきた1961年の時点ではすでに有名な曲になっていたようだ。おそらくディランはこの歌を、仲の良かったフォーク・グループクランシー・ブラザーズ(The Clancy Brothers)のリアム・クランシー(Liam Clancy)から教わったのだろう(リアムの歌はYoutubeで聴ける。素敵な歌声だ)。
原曲の「古いトライアングル」の歌詞はこのサイトに全文掲載されている。ダブリンのロイヤル運河沿いにあるマウントジョイ刑務所に収監されている囚人の鬱々たる日々についての歌だ。ブレンダン・ビーハンはかつてIRAの闘士で、爆弾事件を起こして数年間(1942年から1946年まで)投獄されていたことがあり、その体験を歌にしたのである。有名なロック批評家のグリール・マーカス(Greil Murcus)はこの歌について、「自由への希望(hope for freedom)を欠いた『アイ・シャル・ビー・リリースト』だ」と言っている(Greil Murcus, The Invisible Republic, 1997, pp. 256-257)。逆に言えば、ディランはこの歌を土台として、そこに「自由への希望」をつけ加えたということになる。
余談だが、この歌で面白いのは、語り手が隣接する女子刑務所のことを思い浮かべ、その女たちに混じって暮らせたら……みたいな妄想を書きとめているところ。やたらと切実な一節である(さらについでに言えば、そこに収監されている女囚の数は、歌い手によって「70人」だったり「75人」だったりする)。
3)実はいちばん訳しにくいのは、タイトルでもあり各連の最終行でもある"I shall be released"の部分。昔のレコードについていた対訳では「われ解放されるべし」と訳してあったような気がするが、悪くはないと思うがちょっと違う。もちろん、「解放(釈放)されたい」という単なる意志や願望でもない。ここでの"shall"は、一人称では「成就確実性」を、すなわち「ある命題内容が、主語の意志とは無関係に、いわば運命的に必ず実現するという意味」(安藤貞雄『現代英文法講義』開拓社、2005、pp. 304-305)を表すものと解釈するのが、テーマや文脈から妥当である。となると、規範性を含意する「べし」はあまりよろしくない。そうなるのが正しいが、そうならないかもしれない、というのでは弱いのだ。ここは、自分が解放されるのは当然なのだ、それが天の定めなのだ、という強い断定でなければならない。
4)「西から東へと」に続く「ひろがってゆく」は、友部正人訳に従った。友部さんのカバーは1991年のアルバム『ライオンのいる風景』に入っている。ベスト盤『ミディの時代』でも聴ける。名曲・名訳・名演なので、ぜひ聴いてほしい。
……といったところです。間違いや追加情報などをご教示いただければ幸いです。
最後に原詞を掲げておきます。
I Shall Be Released by Bob Dylan
They say ev’rything can be replaced
Yet ev’ry distance is not near
So I remember ev’ry face
Of ev’ry man who put me here
I see my light come shining
From the west unto the east
Any day now, any day now
I shall be released
They say ev’ry man needs protection
They say ev’ry man must fall
Yet I swear I see my reflection
Some place so high above this wall
I see my light come shining
From the west unto the east
Any day now, any day now
I shall be released
Standing next to me in this lonely crowd
Is a man who swears he’s not to blame
All day long I hear him shout so loud
Crying out that he was framed
I see my light come shining
From the west unto the east
Any day now, any day now
I shall be released