杉の木の宇宙

 最近、病気がぶりかえしたみたいに、ニューエスト・モデルソウル・フラワー・ユニオンを聴いている。いずれも知る人ぞ知る〈最後の空想的社会主義シンガー〉中川敬によって率いられた最強のロック〜ミクスチャー・バンド。とはいえ僕自身は、ソウル・フラワーがてらいなく政治色―というよりは市民運動色―を増していった時期以降、煮え切らない敬意は感じつつも、積極的には聴かなくなっていた。僕にとって中川の最高傑作は相も変わらずニューエスト・モデル最後のアルバム『クロスブリード・パーク』からの大作「底なしの底」。〈もう期限切れだろ/このまま風に吹かれたいのさ〉とうそぶく一行目から、〈この地面が底なしの泥沼でも泳げるかい/底なしの底に何がある/その奥には何がある?〉という執拗なリフレインまで、何千回聴いても背筋が寒くなり、脳髄が熱くなる傑作だ。

 でもそれ以上に、ときたま無性に聴きたくなるのは、『カウンター・センサーシップ』という寄せ集めのアルバムの冒頭を飾るカヴァー3連発。ヴェルヴェット・アンダーグラウンド「おもろのきわみ」(We're gonna have real good time together)、ボブ・ディラン「嵐からの隠れ場所」、そして何よりも、甘酸っぱさと苦みが渾然と溶けあったヴァン・モリソン「杉の木の宇宙」(Redwood tree)。もう何年も、僕はこの曲のオリジナルをずっと聴きたくてCDの新品を探し、あるいは再発を待ち焦がれていたのだが、なかなか出会えず、もう我慢しきれなくてさっきついにiTunes Storeで購入ボタンをポチってしまった。

 ニューエスト版はファンク風味のビートに仕上げられていたが、ヴァン・モリソンの作品はもっとオーガニックなソウルの佳曲で、また別の味わいがある。そして、それ以上に驚いたのは歌詞だ。Reddwood treeの内容はだいたいこんな感じだ。子犬といっしょに虹を探しに出かけた少年。いつか野原か森のどこかで犬はいなくなる。少年は父親と子犬を探しに行く。でももう子犬はどこかへ行ってしまって、みつかりはしない。あれからの月日、少年が何を学んできたか、君にはわかるだろうか……。

 ニューエスト版の訳詞も基本的なストーリーは同じだ。けれど、中川敬による「超訳」には、明らかにそれ独自の世界観がある。それは次のような一連からわかる。

 子犬を連れて虹さがしに行こう
 日捲る毎に少年は何かを解いた
 川べりを抜けて荒野を駆け巡り
 襲い掛かる夕闇に全てを預けた

 ここでは、「何かを解いた」のは少年であり、「夕闇に全てを預けた」のも少年である。つまり少年がみずからを見知らぬ世界と未来に投げ出していく、その能動性が強調されていく。そしてオリジナルとの決定的なちがいは、ここには「父親」が登場しないことである。ヴァン・モリソンが、

And a boy and his father went out,
Went out looking for the lost dog

と歌うところで、中川は

 林道の脇で子犬とはぐれたまま
 秒刻みに少年は何かを解いた

と語る。少年がはぐれた子犬を探さなかったわけではないだろう。けれど、歌詞そのものには、そのことは明示されない。少年は子犬とはぐれたことを、宿命への成長として、力強く受け入れているように見える。そしてその「自立」のために、父親の手も影も必要とはされていない。だから、中川の唄には、ヴァンのような噛みしめられたノスタルジーはない。それは音楽にとって、強みでもあり、弱みでもあるだろう。現在の僕にとって風を感じられるのは、少年へのまなざしを通して聴く者自身に〈何を学んできたのか〉を問いかける、ヴァン・モリソンのヴァージョンの方だ。

 残念だけれども、『カウンター・センサーシップ』は入手困難のようだ。ヴァン・モリソンのヴァージョンはiTunes Storeで買える。収録アルバム名は、Saint Dominic's Preview。

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