グレッグ・イーガン『プランク・ダイヴ』

プランク・ダイヴ (ハヤカワ文庫SF)プランク・ダイヴ (ハヤカワ文庫SF)
グレッグ・イーガン 鷲尾直広

早川書房 2011-09-22
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 山岸真編のグレッグ・イーガン短編集としては、まさに衝撃的な遭遇だった『祈りの海』以来の面白さだった。『ひとりっ子』が個人的にはいまいちな感もあったので、あまり過剰な期待はしないでおこう……などと思いつつ読み始めた巻頭の「クリスタル・ナイト」――サイバー時代の「フェッセンデンの宇宙」譚であり、データ化された「生命」の価値をめぐる倫理学的考察――の疾走感と密度にいきなり引き込まれ、あとは最後まで一気に読んでしまった。残りページが少なくなるのが寂しい、と感じた読書は久しぶりだった。
 たぶん集中の最高峰「ワンの絨毯」は、『ディアスポラ』に組み込まれた、あの気の遠くなるようなエピソードの原型だ。そう、ほとんどの人類が肉体を脱ぎ捨て人工生命化している未来で、物質の手触りに意味を見いだす連中が地球外生命体との遭遇を求めて深宇宙へと自分たちのクローンを散種する。そして終に出会った不可思議な生命体らしきものは、実は……という、希有壮大にして超ハードな疑似科学が炸裂する、しかもアイロニカルな話なのになぜか静かな悲しみさえ漂う、現代SFの傑作。
 二つの平行宇宙同士の存在そのものをかけた数論合戦(なんのこっちゃ)がテンション高く展開される「暗黒整数」は、『ひとりっ子』所収の「ルミナス」の続編。超ハードな俺様数学理論とそれが実在にどう関係するのかは残念ながらほとんど理解できなかったが、最後にこの世界(とともに、あっちの世界も)を時代遅れのしょぼいラップトップを駆使して救う場面が、マックブック1台で宇宙からの侵略者を倒した『インディペンデンス・デイ』みたいで面白かった。イーガンはあの話を単純にバカにせず、面白く思ったのかもしれない。
 表題作「プランク・ダイヴ」も、ブラック・ホールへの下降(ダイヴ)というハードなメイン・アイデアを核に、その背景として、安易な科学嫌悪にはまっている守旧的なコミュニティから闖入してダイヴァーたちを苛立たせる老人と、そんな父親の下で育ちながらも実はその世界から抜け出したい娘との葛藤という、ニセ科学問題など考えると何やら身につまされる設定が描き込まれて、物語に奥行きを与えることに成功している。その娘が結局○○するラストシーンには鳥肌がたった(←これ、あんまり好きな表現ではないのだが、実際たっちゃったんで)。
 そして巻末に置かれた「伝播」。短い宇宙探索ものだが、ラストにはイーガンの、というより、これこそSFの魂そのものだという必殺の一行が置かれて、大昔、素朴なSF少年だったときに一瞬戻ったかのような、胸うち震えるような感動を味わった。
 イーガンは、ハードSF作家としてはたとえばクラークの後継者的側面をもっているのだろうが、僕としてはデーモン・ナイトに通じるような――「アイ・シー・ユー」におけるプライバシーとアイデンティティの問題とか、「ディオ」で探究された不死の意味といったテーマは、イーガンに直に引き継がれたと言っていいほどだろう――得も言われぬ「向こう側」感というか、いったいこれを読んで何をどう感じればいいのかと、読者を呆然とさせる世界観をぽんと投げ出してくれるところが素晴らしい。その上、小説としては、ストーリーテリングも巧み、疑似科学的なペダントリーも魅惑的、キャラも立ってるし、しっとりした感動もある。早く新作、でなくてもいいから、また未読の作品が読みたい。実は原書も買ってはいるが、恥ずかしながら歯が立たないところが多いのだ。山岸真さんには今後も新訳はよろしくお願いしたい。