しかし、最近聴いたCDでいちばんぶっ飛んだのは、エフゲニー・スヴェトラーノフがロシア国立交響楽団を指揮したコンピレーションアルバム『Melody』であった。許光俊氏が『生きていくためのクラシック―「世界最高のクラシック」第?章』(光文社新書)で絶賛のかぎりを尽くしていたので買ってみたのだけれど、これは許氏の例によって大仰過ぎるとしか思えなかった「信じられないような名演奏が綺羅星のようにならぶスヴェトラーノフ畢生の大傑作」「至純の美の世界から抜け出せなくなるような気がしてくる」といった言葉が、それでも足りないと思えてくる。
冒頭のロマンチックな「アルビオーニのアダージョ」からしてすでに尋常ではない重さ、暗さ、厚みだ。最初の数秒が鳴っただけで、眼前に漆黒の森が忽然と姿を現すような音楽である。その後も、作曲者はバッハ、グルック、グリーグ(「ペール・ギュント」だ)と移っても、何も変わらない。すべてがまるでスヴェトラーノフによる「スターレス・バイブル・ブラック」であるかのように、鬱蒼とした音響が巨大な生き物のように重々しい歩みを刻んでゆく。そしてクライマックスは、ベートーヴェン:交響曲第3番『英雄』からの第2楽章。僕も中学生のときに来日したカラヤンとベルリン・フィルのライブ演奏をFMで聴いてからそれなりの数の『英雄』を聴いてきたが、この演奏には思わず「こんな曲だったか?!」と声に出しかけてしまったほどだ。呆然。これほどまでに絶望的な『英雄』第2楽章が他にあるのだろうか。この後、すぐにギュンター・ヴァントの演奏を聴いてみたけれど、それはもっと端正で、快活な音楽だった。スヴェトラーノフの『英雄』全曲版を聴いてみたい。
世界にはたくさんの驚くべき音楽が眠っている(=僕が知らないだけ)にちがいない。それを全部聴き尽くすには、たぶん人生の時間はまるで足りない。音楽は、たとえば3分の曲を聴くには必ず3分かかる芸術だから、他のメディアのように猛スピードでスキャンしていくことも不可能だ。でも、「ちょっと足りない」ではなく、何億分の一というオーダーで「まるで足りない」ということは、かろうじて救済でもあるように思える。(なお、スヴェトラーノフのこのアルバムはAmazonでは変えないようなので、文中ではhmvにリンクを貼っておきました。)
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