『手塚治虫の描いた戦争』

手塚治虫の描いた戦争 (朝日文庫)手塚治虫の描いた戦争 (朝日文庫)
手塚 治虫

朝日新聞出版 2010-07-07
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 「性現象論」や「総合講座 性」の講義では、前に『社会学になにができるか』に書いた「ジェンダー論になにができるか」でも扱った手塚治虫『人間ども集まれ!』の一部を素材にすることが多いのだが、そのついでに手塚治虫について一席ぶつことにしている。今年の総合講座では、『人間ども集まれ!』は時間がなくてスキップしたにもかかわらず、講義のストーリーとは直接関係のない手塚の作品世界全体についてはついつい数分間喋ってしまった。手塚が生み出したキャラクターたちやアニメは知っていても、たぶん手塚作のマンガそのものはあまり読んだことのないであろう学生たちに、読むきっかけを与えたいのだ。内容はごくごくオーソドックスな紹介である。手塚治虫は差別・セックス・戦争の作家である。『ジャングル大帝』は白子という畸形のライオンの物語だし、『リボンの騎士』のサファイアトランスジェンダー、『鉄腕アトム』は人間とロボットの狭間で引き裂かれる一個の理性の苦悩を描く。『空気の底』は成就しない近親相姦の話だが、手塚は近親相姦自体を否定してはいない。『アポロの歌』の終幕近く、報われない愛を求めて繰り返し繰り返し自分自身をクローニングする女王のグロテスクな気高さを見よ。
 でも今の僕が何より彼らに追体験してほしいと切に思うのは、手塚が体験した戦争だ。『来たるべき世界』のラストシーン、「すべての国民が死に絶えた地上で「平和が来た」と叫ぶ独裁者」の神話的ビジョンをパワーポイントで見せる。本当は、個人的に偏愛している名短編「カノン」について語りたいところだが、これは手塚自身の「マンガ=記号説」を自らあっさり裏切ってみせる描写が炸裂することもあって、なかなか難しく、今のところうまく授業に組み込めていない。上の文庫本は、僕自身は実物を見ていないが、この「カノン」や学徒動員を自伝的に描いた「紙の砦」などの傑作を収めていて入手しやすいようなのでリンクしておいた。

 1980年の東京でのSF大会で、映画『盗まれた街』を見ていたら、僕の斜め一つ前の席にいきなり手塚治虫氏が座ったときの密かな興奮は、30数年が経ち、高校1年生がへべれけの中年大学教師になっても、ついさっきのことのようにありありと思い出せる。隣席の人と小声で挨拶をかわす手塚治虫その人の生き生きとした笑顔も。