2004年をふりかえって:The Who

 昨年の最も素晴らしかった出来事。それはThe Whoのライブを体感できたことだ。もちろん正確にはピート・タウンゼントロジャー・ダルトリーの二人だけの「元ザ・フー」にすぎない。けれども、真夏の横浜アリーナのステージに立ち、大音響を散乱させていたバンド、あれは確かにザ・フーだった。サポートのメンバー、特にザック・スターキーも良かったが、何よりも、驚くべきことに、ピート老人とロジャー叔父さんにエネルギーが充満していた。
 曲目はお馴染みのヒットパレード。とは言っても、日本でシングル・ヒットした曲など1つもない。最後まで、日本におけるザ・フーはその程度のバンドだった。ここ何年か、次々に繰り出されるリマスター盤CDは、彼らの絶頂期におけるLPの何倍も売れているという。新しい、若いファンが絶えることなく生まれつつあるのだ。たぶんそれはため息のでるようなことであるにちがいない。20歳になったばかりの人間が、なぜ40年も昔の音楽を聴いて浸らねばならないのか。黒人のブルーズを換骨奪胎して1950年代に生まれたロックンロールを、20年後にビートルズザ・フーが「ロック」にした。そしてそれは1970年代後半のパンクによって終わった。ロックとはそのように30年に満たない限定された歴史だけを持つムーブメントだった。それ以後の様式化と再生産は、結局のところロックとは何か別のものだ。甲本ヒロトが言い放ったように、「ロックっぽい」ってことは、ロックではない証拠である。
 けれども、実物のザ・フーを目の当たりにした僕はそんなことを考えてはいなかった。ロジャー・ダルトリーは、生真面目な営業マンのように、張りのある声で、すべての歌詞を明瞭に歌いきっていた。最初は不安げに、精一杯シニカルな風を見せていたピート・タウンゼントは、演奏が進むにつれて、観客が本当に自分たちを受け入れてくれているのだということを次第に確信していったように見えた。"See me, feel me"が終わって、最後にギターを壊したとき、たぶん彼は本当に興奮していたはずだ。
 〈俺は自分の権利を証明するために戦う必要なんかない/俺は許してもらう必要なんかない〉(ババ・オライリー)。そんな歌詞を書かねばならない人が、いつも足を震わせながら、世界に立ち向かっていないはずがあるだろうか。

 これから初めてザ・フーを聴く人のために。ベスト版『フーズ・ベター・フーズ・ベット』が便利だが、できればオリジナル・アルバムを聴いてほしい。名曲「ババ・オライリー」や「無法の世界」が入っていて、いちばん完成度の高い『フーズ・ネクスト』松村雄策が「60年代のすべてがある」と評した『トミー』ももちろん良いが、僕がいちばん好きなアルバム(ザ・フーだけでなく、すべてのロックの作品の中で最も好きなものの一つ)は『四重人格』です。