フィギュアスケート

 おれは13歳のときからかれこれ30年間、フィギュアスケートのファンである。ある春の午後、部活が終わって、いつものように中学校の前の文具屋兼パン屋でたむろしていたとき、たぶん好物のカルピスソーダを飲みながら、店先に積んであった『別冊マーガレット』の表紙を何気なくめくったのだった。目に飛び込んできたのは、新連載巻頭カラーの槇村さとる『愛のアランフェス』。薄闇のようなアランフェス地方の風景を遠く抱きながらスパイラル・シークエンスを決める主人公・森山亜紀実。一瞬にして身も心も奪われた、気がした。それまでもおれは幼少のみぎりからあらゆるタイプの少女マンガを愛読していたし、フィギュアスケートものも好きだったが(例えばひだのぶこ『銀色の閃光(フラッシュ)』、入手不能だろう)、そのように作品世界に引きずり込まれた経験はまだなかった。それからおれの本格的な「二次コン」(死語)時代が始まったのだ(終わったのはいつか、いや本当に終わっているのか)。

 いま思えば、当時の『別マ』は、槇村さとるくらもちふさこという若き新鋭がちょうど一気に人気作家になりかけていたころで、『アランフェス』と、くらもちふさこのあの愛すべき傑作『おしゃべり階段』の連載時期は重なっていたはずだ(くらもち氏が真にブレイクしたのは、もう少し後の『いつもポケットにショパン』だったけど)。

 話が逸れたが、そういうわけで、それ以来テレビでフィギュアの試合は数え切れないくらい観てきた。最近では技の種類も段々わかるようになってきた。その経歴で特に印象に残っている選手は、男子シングルのロビン・カズンズのスタイルの美しさもさることながら、ロシアのペア、モイセーエワとミネンコフである。かれらは70年代後半において多くの革新的な試みをやっていたと思う。たとえば、パーカッションだけの曲で踊るといったことだ。それはまだ誰も観たことのない演技だった。それだけに失敗も多く、ある試合では最後の最後のキメのところで男性(ミネンコフ)が女性(モイセーエワ)のリフトに失敗し、氷上に落としてしまう、などということがあった。だがそれ以上に痛烈な印象が残っているのは、むしろかれらが最高の、完璧な演技を見せたときだった。当時のフィギュアは現在と違って、フリーではそれまでの成績の逆順に滑っていたように思う。だからモイセーエワ・ペアが2位のときには、その後にはたった一組、第1位のペアしか残っていないのだ。それが不動の王者、ロドニナとザイチェフのペアだった。
 これでついにモイセーエワたちが勝つだろう、これ以上の演技は不可能だろうと固唾を呑んで見守っている観客の面前で、しかしロドニナたちが見せた演技は、まったく奇をてらったところがなく、そして、圧倒的だった。勝利はまたしてもロドニナたちのものとなった。それがいつの、なんという大会だったのかは、もう覚えていない。だが十代半ばの僕がそのとき、モイセーエワたちの無念をかすかに痛みながら、ただ必要なのは真正面から王道を進み、どこまでも遠くへ行くことなのだという教訓を心に刻んだことだけは、いまも忘れてはいない。

 トリノ・オリンピックでの荒川静香の演技は最高だったと言える。あれほど濃密で、滑らかな荒川の演技は観たことがない。スルツカヤやコーエンにミスが出たことは残念だったが、コーエンはあれが実力だと思うし、絶好調とは言えなかったスルツカヤにプレッシャーをかけたのは荒川の演技そのものだっただろう。
 男子のプルシェンコは、本番では抑え気味なのか、いまひとつキレがないように感じたが、エキシビジョンは圧倒的だった。彼はあらゆる意味で完璧なスケーターだ。かつてジュディス・メリルがサミュエル・R・ディレーニーについていった言葉をもじっていえば、プルシェンコはフィギュア・スケートを愛する〈すべての人にとって、すべてのものだ〉。ジャンプやステップの切れ味、振り付けの独創性、それらすべての要素を高度な次元で完結させる意志、どれをとってもこの30年間のフィギュアー・スケートのシングルにおける集大成と呼ぶにふさわしい。この後に、いったい何が残っているのか。観る者を呆然とさせ、不安にさえさせる、別次元のスケーターだと言えるだろう。
 それでもまだこれからもフィギュアに新しいウェーヴが生まれ、革新されていくことを、僕は強く願っている。90年代の初め、伊藤みどりという天才によって、フィギュアがバレエへのコンプレックスから解放され、まったく別の固有性をもつスポーツ/芸術として確立されたような、歴史を粉砕する啓示的瞬間が、再び来たらんことを。