出会いの場所

2006年9月11日(月) 【下】
 開始予定の午後7時30分を少し過ぎて、会場の「The JCC in Manhattan」に到着。それまで「JCC」とは何の略かわからず、CとはChiristなんだろうと思っていたが、Jewish Community Centerの略だった。入り口でバックパックの中身を調べられ、金属探知機も通される。受付で10ドルのチケットを買って、地下に降りると、およそ200人ぐらいが入れるだろうと思われる会場はほぼ満員だったが、なんとか隅のほうに空席をひとつ見つけて座る。

 映画Encounter Pointは、和解の礎を築くことを目指して、パレスチナ人とイスラエル人とが出逢い、語り合う場をつくり、維持している人びとの活動を描いたドキュメンタリーである。ただし、そうした活動の中心となっているのは、肉親をパレスチナ人に殺されたイスラエル人と、肉親をイスラエル人に殺されたパレスチナ人なのである。

 映画の軸になるパレスチナ人の青年「Ali」は、かつて熱烈な民族主義者であり、16歳で最初のインティファーダに参加した。その後、イスラエルで投獄され、その間に弟がイスラエル兵に殺される。だが彼は出獄後、その報復のためではなく、「家族を奪われた人びと」という運動に参加し、パレスチナ人とイスラエル人との対話のために動きつづけることを選ぶのである。

 印象的なのは、Aliが獄中で「たくさんの本を読んだ」と語っていたことだ。それまでは、誰かから吹き込まれた憎悪と復讐の教えしか知らなかった。しかし、獄中でネルソン・マンデラ等の本を読んだことで、<別のやり方>があることを初めて知ったのだという。

 Aliが若いパレスチナ人たちと語る場で、おそらく10歳ぐらいに見える少年が「イスラエル人と戦うべきだ、僕は戦う」と叫ぶ。Aliはそれに「もちろん俺も戦うさ。ただし、非暴力という戦術でね」と応える。少年は一瞬口をつぐむ。別の誰かが「そんなのは絵空事だ」とまくしたてる。そうかもしれない。しかし、絵空事だからやらないほうが良いということが論証されない限り、Aliの活動には無限の価値が保証されている。絵空事だから――あるいは、かえって逆効果だからと言う人すらいるだろう、そういった理屈の種はいつでも見つかるものだから――何もやらないほうがよいとただ言う人は、奇妙なことだが、ふた昔前の、最低のマルクス主義者(「最低の」は関係代名詞の制限用法ですので、ご注意を)に似ているような気がする。つまり、いつか労働者階級が勝利して、さらに階級が廃絶されることは歴史法則で決まっているのだから、革命が起こるまで何もしないで遊んでいればいいということを(どうやら真面目に)信じていたらしいタイプの人びとと。

 Aliのような人はそれとは正反対だ。映画の終わりのところで、車を運転しているAliがインタビューアーに話している。パレスチナ人には「絶望した市民か、酔っぱらった政治屋か、(もう一つのタイプはメモしきれなくて忘れてしまった)」しかいない。インタビューアーが「あなたはどのタイプ?」と尋ねると、Aliは「全部だろうね。クレイジーだけど、生きて行くには気が狂ってなきゃならないのかも」と言って笑った。

 会場には、Ali青年は来なかったが、もう一人の主要な登場人物であるイスラエル人のRubinさんが来て、質疑応答ではユーモア溢れる口調で会場を沸かした。彼女の息子はイスラエル兵で、パレスチナ人のテロによって殺されたのだ。
 そして、何より僕の印象に残ったのは、Peaceful Tomorrowsに参加しているアメリカ人の白人の女性(名前は聞き取れなかった)の話。彼女も息子をテロで殺された人だ。しかし、質問に答えて、こう言ったのだ。「私はもはや●●(息子の名)のために=に代わって(for)話をしてはいません。私は私自身として(for)語るのです」。僕がこの何年間か考えている<死者の騙り>の拒否というテーマを、これほど穏やかに超えていった人の話を、僕はもちろん初めて聞いて、しばらくは何を考えていいのかわからなかった。

 死者は死者であり、すでに殺されて、いまここにはいない。だからこそ、死は無惨なのであり、殺してはならないのである。それが、戦争が悪であることの、ほとんど唯一の根拠なのではないか。僕は、ずいぶん年をとってから、あるとき「死者とは二度と会えないのだ、二度と話し合うことはできないのだ、それが人が死ぬということのすべてなのだ」ということに気づいて呆然としたことがある。その瞬間に飲み込まれるように感じた途方もない寂しさから癒されることはありえないだろう。でもそのとき、僕だけが鈍いのであって、そんなわかりきったことは誰もが知っているはずだと思った。けれども、そうだとしたら、どうしてこの世界には死者を<騙る>声がこれほどまでに溢れかえっているのだろうか。自分が死んだわけでもないのに、その絶対的な断絶をあたかも軽々と乗り越えたかのようにして、死者の声を誇らしげに代弁し、その「無念」を高々と掲げ、そうやってかれらを殺した者たちの暴力を栄光へと反転させる、真におぞましい言説の詐術に、どうして多くの人びとが付き従っていくのだろうか。「犬死」はそれほどいけないことなのだろうか。僕らはみな、土曜の夜のウィスキー一杯が原因でこの世に生まれ落ち、あたふたとはいずりまわりながら、あの優しい犬たちと同じように死んでゆくのではないか。それで何がいけないのか。憎むべきものがあるとしたら、それは犬死ではなく、犬死したと思いたくないような罪なき人びとを殺す権力者であり、それに追従する民衆の心の弱さではないのか。(なぜ、いつから若者たちは、「政治家」などという種属の言うことをバカ正直に受け止めたり、あまつさえ信じたりするようになってしまったのか。それともそれは、かつて少年だったAliが宗教政治家に先導されてインティファーダに参加したり、中国の紅衛兵たちが毛沢東共産党の指導者たちの先導に乗って親たちを吊し上げたことを見れば、若いということの宿命的な負性なのだろうか。)
 死者はけっして語らない。それが、死者が死者であるということの意味なのだから。語ることのできる死者は、じつは死者ではないのだ。「遺族」でさえ、死者の声を代弁することはできない。だからこそ、死者の遺族は、死者自身とはまた別のやり方で、深く癒えることのない傷を負うのだ。「死者の無念」を「生者」が語ろうとするなら、それはどこまでもねつ造された<騙り>でしかない。そしてそのような<死者の騙り>は、しばしば、より以上の死を、時には望みながら、時には不本意にも、生み出してしまう。そうした「暴力の連鎖」を終わらせること、そしてそのために「死者の声」をねつ造し、騙ることをやめることは、けっして聖人だけがなしうることではない。なぜならそれは「赦す」ことである必要はないのだから。僕が思うのは、ほんのささやかなことなのだ。ラングストン・ヒューズの、こんな小さな「助言」のように。

「助言」 ラングストン・ヒューズ/木島始
 みんな、云っとくがな、
 生れるってな、つらいし
 死ぬってな、みすぼらしいよ───
 んだから、掴まえろよ
 ちっとばかし 愛するってのを
 その間にな。

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