ただのおしゃべり

 これも前から気になっていた、絲山秋子氏の『沖で待つ』『イッツ・オンリー・トーク』をようやく読んだら、なにかが普通のと違うマッサージを全身に受けたような感じがして、とても気持ちよくなった。細かく書きたいことがいろいろあるが、それはまたいずれにして、何より気持ちよいのは、よく切れる包丁で卵を切ったときのような感触の会話たち。先日紹介した長嶋有もそうだったけど、これこそが現代小説の正統なる会話文ではないのか。僕がかなりの確率で翻訳SFに萎える理由のひとつは、何千年もの未来で社会も人間の感性も大きく変わっているはずなのに、いつまでたっても女が「あたしはそんなことはしないわ」「あら、そんなことはないわよ」みたいな、何者?と突っ込みたくなる口調で喋ること。「友近」じゃないんだから。たとえばグレッグ・イーガンの『ディアスポラ』の会話部分については、まったく新しいジェンダーレスの日本語会話文体を創造するのでなければ、せめて絲山秋子の登場人物たちのように小気味よく喋らせてほしかった。