こいつはとびきり愉しい(←ちょっとオヤジ臭い表現ですが)快著。
分類学や生物学一般に興味のある人はもちろん、そうでなくても「分類」という現象――たとえば「男」と「女」の!――を、ほんのちょっとでも「不思議だなあ」と思ったことのある人はぜひ読むべし。「種」とは何かをめぐるこれまでの議論を跡づけつつ、考察の焦点はより普遍的な「分類という作業そのもの」におかれていて、マイアやギゼリンといった生物学プロパーの議論だけでなく、ウィギンズの
存在論やギンズブルグの
歴史認識論なども紹介される。著者は種――だけでなく通常の意味での個体も――の実体視を強く否定し、それに類する疑いのあるシステム論もほとんど相手にしない。実在するものはせいぜい「
生命の樹」全体だけであり、それ以外の「単位」はすべてヒトに進化的に備わった
心理的本質主義の産物にすぎないと示唆する。その立場は明確だが、他方、本書は「種とは何か」という問いに答えを出すことをめざしてはいないといい、実際、ギゼリンの種
実在論なんかもていねいに説明される。僕のように、分類についてそれなりに考えてはきたが生物学の知識は欠いているという読者にとっては、その方面を概観できる上にすぐれた読書案内になるし、反対に生物学は好きだが哲学的な議論は知らないという読者にも役立つだろう。もちろん、どちらもあまり知らない人にとっての入門書としても十分読める。
個人的には同著者の前著『系統樹思考の世界』より10倍ぐらい面白かったけど、しかし本書の考察の根本はダーウィニズムであり、それを抑えておくためには、順番に読むことに意義があるだろう。
そういえば、
ダーウィンの思考の革命性を「分岐」への洞察に見出し、返す刀で、
今西錦司がそのことをまったくわかっていなかったと切り捨てたのが面白かったのはこの本。
ただし、すごく重要な論点なのに、今西の名前さえ出さずに思わせぶりに触れているだけなのは非常に残念。今年の進化学会でも、横山輝雄さんの発表をめぐってフロアの長谷川眞里子さんや
佐倉統さんらとのあいだでやりとりになったと記憶しているが、日本の生物学における今西理論の(政治的ではなく、
科学史的あるいは
科学社会学的な)総括を誰かやってくれないのか。(自分では興味はあるけどできないので。)
ところで、三中氏の本が生物分類学における「本質主義」を批判しているからといって、「じゃあ構築主義か」などと早合点しないように。全然オーダーの違う話ですからね。