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『ルー・リード詩集 ニューヨーク・ストーリー』
世界中の、たぶん何千人かの人たちと同じように、ここ二週間はずっとルー・リードとヴェルヴェット・アンダーグラウンドばかり聴いていた。僕が生のルー・リードを観たのは、2003年の来日公演のとき、一回きり。ドラムレスの変則編成で、いくつかの曲ではルーの師匠だった太極拳マスターが真っ赤な衣装を着て妙技を決めていた。アントニー&ジョンソンズのアントニーが一緒に来ていて、たぶんいくつかの曲にコーラスをつけ、「キャンディ・セッズ」を独りで歌った。ルーの声は肉に突き刺さるようで、ダニー・ガットン・テレキャスター(だったと思うんだが)を掻き鳴らし、わけのわからないノイジーなギターソロを弾いていた。このときのツアーの様子は、『アニマル・セレナーデ』というアルバムで聴くことができる。
ルー・リードやヴェルヴェットの存在は中学生のときから知ってはいたはずだが、その音楽を初めて聴いたのは高校生になってからだったと思う。きちんと聴いたのはもっと遅くて、渋谷陽一のサウンドストリートで特集をやったときだったかもしれない。『レジェンダリー・ハーツ』が新譜として紹介されていたような記憶があるので、1983年、僕が大学に入った年だ。そのときに、ヴェルヴェットのサードアルバムから「キャンディ・セッズ」もかけていた気がする。それまでに聴いたことのないような、儚く、美しい歌だった。番組を録音したカセットを繰り返し聴いた。キャンディが呟いた"I wish I could walk away from me."というフレーズの意味について何度も考えた。その後は、『トランスフォーマー』や『ベルリン』を遡って聴き、『ニューヨーク』や『セット・ザ・トワイライト・リーリング』をリアルタイムで聴いていった。
『ルー・リード詩集』の奥付には1992年8月20日発行とある。これも、もう21年も前の夏だ。当時やっていた『季刊 窓』の書評会議でこの本を取り上げることを提案したが却下された。歌詞はもちろんすばらしく面白いのだが、この本には他に、『ブルックリン最終出口』――この映画版は僕が20代に観た中で最高にショッキングだった――を書いたヒューバート・セルビーと、民主化されたチェコの初代大統領、劇作家のヴァツラフ・ハベルへのルーによるインタビュー(およびプラハ雑記)も載っていて、これが実に興味深いのだ。ここでハヴェルは、1968年にニューヨークからヴェルヴェット・アンダーグラウンドのアルバムを持ち帰ったこと、ヴェルヴェットの影響を強く受けた「プラスティック・ピープル・オブ・ザ・ユニヴァース」というバンドがあったが弾圧され、ハヴェルの夏の別荘で秘密のコンサートを開いたこと、を語った。その夜、ルーがクラブへ出かけると、そのバンドの元メンバーを含むプルノックというバンドが、突然、ヴェルヴェットの曲を演奏しはじめた。
私の歌の、きれいな、心にしみる、非のうちどころのない編曲だった。信じられなかった。一夜漬けの練習で出来るものではなかった。私が聞いているうちに音楽はより強くより大きくなった。「ドラマーが、あなたがここにいると聞いて気を失いそうだと言っています」とコシャールが言った。(232)
自分も演奏するために、ルーは楽屋に行き、ギター・チューナーを取り出すが壊れている。案内人のコシャール氏がバンドから借りてくれたが、それも壊れた。
それで私はというと、大統領だけでなくこの素晴らしい人たちのために演奏しようというのに、音合わせが出来ないでいる。まさにヴェルヴェット・アンダーグラウンドそのものだった。しかし、このバンド、プルノックは模倣ではなかった。まるでかれらはヴェルヴェットの心と魂の底まで吸収し――ヴェルヴェットの素晴らしいアイデアを骨の随まで吸収しているかのようだった。(233)
「あなたに会わせたい友人が何人か居ます」と言って、彼はびっくりするような人の列、みんな反体制派で刑務所に入っていた人たちに私を紹介した。私の音楽を演奏して刑務所に入っていた者もいた。刑務所に入っていた時、自分を勇気づけ慰めるために私の歌詞を暗唱していたと大勢が言った。中には、私が15年前に書いたエッセイの中の一行「誰もが音楽のために死ぬべきだ」を覚えている者もいた。それは私にはとてつもない夢で私の最も遠大な期待をはるかに超えるものだった。私が大学を出てヴェルヴェットを形作ろうとしていたとき、他のこともさることながら当時書かれていたものに比べて一つの歌がどれだけの力を持ち得るかを気にしていた。だから、ヴェルヴェットと私自身のアルバムは表現の自由――好きなことについて好きなように書く自由についてのものだった。そして、その音楽はここチェコスロバキアに安住の地を見いだした。(234)
これほどの幸福感に満ちた文章は、そうそうあるものではない。ルー・リードは掛け値なしに幸福な人だった。なぜそうなれたのだろうか。その答え、少なくともヒントは、プラハの旅についてのこの文章を締めくくる言葉から読み取ることができるだろう。
そう、私は楽しんだ。ヴァーツラフ・ハベルのことと、私が一番聞きたかった質問に対する彼の答を私が考えない日は一日もない。その質問は――「なぜあなたは留まったのですか? なぜあなたは国を去らなかったのですか? どうやってあのおそろしい虐待に耐えたのですか?」それに対して彼はこう言った。「私が留まった理由は、ここで暮らしているからです。私は正しいことをしようとしただけでした。こうしたいろいろなことを私が計画したわけではなかったのですが、我々が成功することは決して疑いませんでした。私は正しいことがしたかっただけでした」
私はヴァーツラフ・ハベルが大好きだ。無事を願い続けよう。私も正しいことをしたい。(236)
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柳澤健『1985年のクラッシュ・ギャルズ』
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いろいろ言いたいことが浮かぶが、書いている余裕がないので、印象に残った箇所をいくつか抜き書きしておくにとどめよう。
小学四年生の春、千種は夜遅い時間にテレビでやっていた女子プロレスの試合を初めて見た。大きなマッハ文朱と太ったジャンボ宮本が戦っていた。
「女であること」「強いこと」「かっこいいこと」が、女子プロレスの中ではひとつになっていた。男にも女にもなりきれない十歳の少女が夢中になるのは当然だった。(p. 32)
なぜだろう? どうしてこの人たちは、こんなにも自信にあふれた表情をしているのだろう。どうして汗にまみれたふたりが、これほど美しく見えるのだろう。
ジャッキー佐藤を深く愛した智子は、「私もジャッキーさんのようになろう」と決意した。私は女子プロレスラーになるために生まれてきたんだ。そのためには、こんなに醜い身体のままじゃダメだ。(p. 64)
プロレスは言葉だ。(p. 91)
クラッシュ・ギャルズ以前、「凜々しく戦う少女」が主役となることはなかった。「サイボーグ009」の003や「秘密戦隊ゴレンジャー」のモモレンジャーは、少年の世界観を一歩も出ることなく、少年にとって都合のいい脇役であり続けたし、ビューティ・ペアにおいても、女性的なマキ上田は男性的なジャッキー佐藤の庇護を受ける存在だった。
クラッシュ・ギャルズと同時期の八〇年代半ばに映画「風の谷のナウシカ」(八四年)が登場し、男女雇用機会均等法が施行(八六年)されたのは決して偶然ではない。日本経済がバブルに向けて疾走していたこの時期、女性は自由と平等、そして戦いを求めていたのだ。(p. 100)
千種の怒りは強烈で、飛鳥に面と向かって「お前、死神に取り憑かれたね」と罵った。(p. 142)
十代の私たちに自分の基準などありません。クラッシュが言うことがすべてなんです。(p. 154)
つかこうへいはまったくの素人である長与千種を主役に立て『リング・リング・リング』を上演することに決めた。題材は女子プロレスである。
「千種、お前の一年を俺に預けろ。俺は、男も女もお互いを認め合い、《いつか公平》な時代がくるといいと思って『つかこうへい』と名乗っているんだよ。風呂で寝てしまい、我が子を溺死させた母親がいる。母乳を与えながらうたた寝して、我が子を窒息死させた母親がいる。そういうヤツは一生上を向いて歩いたりしない。でも俺は、お前たち女子プロレスラーだったら、そういうヤツらにも力を与えることができるような気がするんだよ。女子プロレスってなんだ? 普通若い女はおしゃれをしているのに、お前たちは水着一丁で股ぐらを開いている。チャンピオンベルトといったって、ただのメッキだろ? 俺はいままで女子プロレスを知らなくて、ちょっとだけ見せてもらったけど、あんな若さで、水着一丁で肌をさらしてぶつかっていく姿は、まるで天に向かうひまわりみたいだな」
在日韓国人二世であるつかこうへいは、韓国からやってきた母親を見ながら生きてきた。「なぜ母親はこんな目に遭うのか」「女性はこんな風に扱われるために生まれてきた訳ではない」と感じ続け、憤り続けてきた。長与千種はつかこうへいを「女性に対して深い共感を持つ方」と心から尊敬している。
『リング・リング・リング』の稽古が始まって千種は驚愕した。女子プロレスラーがプロモーターの酒の席に呼ばれて酌をする。ひどい時にはお座敷で試合までさせられる。あの人は女子プロレスなど見たことがないはずなのに、なぜこんなことを知っているのか?(p. 201)
一九八五年八月二十八日、大阪城ホール。
観客席にいた一万人以上の女の子たちは、長与千種がダンプ松本に髪を切られる様子を、涙を流しながら見つめていました。
リング中央に置かれた椅子に座らされた千種は首に鎖を巻かれ、右手をブル中野に、左手をモンスター・リッパーに押さえつけられたまま、ダンプ松本にバリカンで髪を刈られています。
その姿はまるで、着座のキリストでした。
長与千種は、私たちが抱える苦難のすべてを背負った殉教者だったのです。(p. 289)
同じ著者による、女子プロレスラーたちへのインタビュー集『1993年の女子プロレス』も面白すぎて、入眠儀式として読み始めたつもりがとまらなくなり、寝不足になってしまった。巻頭に置かれるのは、著者が「偉人」と讃えてやまないブル中野へのインタビュー。全編もう傍線を引きまくるしかないぐらいの密度で、この人は本当に狂っている、もう何でももっていってください、と頭を垂れるしかない。最高だ。
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