つばな『第七女子会彷徨』(6)

第七女子会彷徨 6 (リュウコミックス)第七女子会彷徨 6 (リュウコミックス)
つばな

徳間書店 2013-07-13
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 あー最高だな−。早く第7巻でないかなー。
 ただ、この第6巻は、5巻までとはちょっと絵柄が変わったな。主人公たちの顔がだいぶ丸くなって、線が太くなったような……。

中村一義『対音楽』

対音楽(ALBUM+DVD)対音楽(ALBUM+DVD)
中村一義

FIVE D plus 2012-07-10
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 1997年、中村一義はデビュー曲「犬と猫」――のちに『金字塔』に収録――で、いきなり高らかに「どう?最近どう?」と呼びかけてリスナーの意表を突きながら、同時に素知らぬ顔で「僕として僕は行く」とさりげなく宣言することで、説教も煽りもなしに、多くの聴衆を深いところから立ち上がらせ、踊らせた。翌年のセカンドアルバム『太陽』に収められた「再会」では、さらに力強く「僕の体で、僕を超えてゆく」と歌い、この曲を20世紀末のアンセムたらしめた。そしてすべては真夏のオレンジのように瑞々しく甘酸っぱいメロディーになって僕らのもとに届けられた。『金字塔』と『太陽』は、今たしかに何か格別なことが起こっていると感じさせてくれる、数少ないロック・アルバムのひとつ(ふたつ)だった。僕がリアルタイムに同じように感じたのは、1976年のセックスピストルズゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」とイーグルスホテル・カリフォルニア」、1984年のU2ヨシュア・ツリー』ぐらいしかない。名作・名曲はこれら以外にもたくさんあったけれど、その歴史的意味というか、風景を一変させてしまう力、他のアーティストたち全てがどんなやり方であれそれらを意識せざるを得ないという重みにおいて、中村一義の初期二枚は傑出していたと断言できる。2000年8月13日の「ROCK IN JAPAN FES 2000」で、トリに予定されていた初ライヴを、天候不良によるイベント強制終了のために見られなかったことはとてもとても残念だった(確かにあのときの強風はもの凄く、打ち切り自体には誰も文句を言わなかったと思うけど)。
 でも、だからこそ、その次、2000年に出た『ERA』には、強烈な違和感を感じざるを得なかった。「あんただって、見たろ?/上の方で、手ぇ汚さない、あの辺」「はじまったぜ……。もう、やっちゃえば?」(「メロウ」)――そんなありふれた説教や不誠実な煽りを中村一義から聞かされたくはなかった。聴く者がどう受け取ろうが、それはそいつ次第のこと。僕として僕は行く。ただそれだけだ。その結果、何が起きるかは、僕の知ったことじゃないけど、でも楽しみにしている……。群れの中、ただ独り初めての旋律に乗せて、でもなぜか懐かしいような唄を歌い始める中村一義の佇まいに信頼を寄せ、踊らされていないからこそ自分も踊ってみることにしたのに……。裏切られた、と言えば身勝手な思い込みからの醜い言いぐさであることは承知していたが、ソロから100sというバンドでの活動に移行して、どんどん重厚に、スクエアになる音の質感にも馴染めず、それ以降のアルバムはそれほど熱心に聴かなくなってしまった。
 だから10年ぶりのソロアルバム『対音楽』を聴いてみようと思ったのは、新宿のタワーレコードで偶々それを見かけたからにすぎない。去年の七月に出ていたことも知らず、入手したのはほぼ1年経ってからだった。1曲を除いて、全曲がそれぞれベートーヴェン交響曲をモチーフにして作られたというポップの解説にも興味を引かれた。
 さて、長々とこれまでの個人的中村一義体験について書いてきたが、前置きはここまでにしよう。一気に飛躍して結論、『対音楽』は素晴らしい傑作だ。シングルカットされた1曲目「ウソを暴け!」はそのタイトルにちょっと身構えたが、「いつでもさ、僕は声を届けるから/だからさ、お願い、お願い、お願い、/ねえ、どうか、君は君を消さないで」というストレートな言葉に満ちたラブソングだった。そして「第九」にちなんだ「歓喜のうた」では、ついに、中村一義からしか聞くことのできないあの宣言が、未踏の次元で再生される。「君にとって音楽はどういう存在でしたか?/僕にとって音楽はみんなと逢う『僕』でした」。澱みの消えた歌詞にふさわしく、すべての曲が透明に美しい。時おり織り込まれるベートーヴェンのメロディに、中村自身のメロディが拮抗し、調和しているのは驚くべきことだろう。涙は出なかった。それとは別種の感動に鼓舞されたから。

押見修造『悪の華 (9)』

惡の華(9) (少年マガジンコミックス)惡の華(9) (少年マガジンコミックス)
押見 修造

講談社 2013-08-09
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 八月の中旬、American Sociological Associationの年次大会に出るためニューヨークに滞在した際、キンドルで読んだ。この巻は切ない。高校生になった主人公が、好きになった女の子に告白する場面の誠実さはすばらしい。もうこのまま、こいつらを幸せにしてやってくれ、と心の中で何度も土下座した。中二の時にあれこれ騒ぎを起こしたと言ったって、子供のあやまちじゃないか。結果的には人を殺めたわけじゃなし、みんな許してやってくれ。

 とはいえ、「本を読む人」であるというだけでこれほどまでに疎外感に苛まれなければならない、ということが、僕には実感としてよくわからない。中学生の時、僕の友達は勉強はできないが滅茶苦茶オモシロイというタイプが多かった。かれらは本などほとんど読んではいなかったとは思うけど、僕がランボーの「永遠」(角川文庫の金子光晴訳)を暗記して諳んじてみせたら気に入って、ちょっとしたブームになった。星新一筒井康隆はみんな読んでいた。僕は友達(こっちは勉強のできるやつだっかが)に大江健三郎の凄さをアツく語った。本を読んで新たなネタを仕入れて教えてくれるようなやつは一目置かれていた。それはそうだろう、仲間内だけで情報の再生産を繰り返していたって退屈なだけだ。外を垣間見せてくれるやつが内輪でもヒーローになれる。その「外」はバイクやエロ本であることもあれば、文学や映画であることもある(もちろん中学生の僕は、それらすべてに激しく興味を抱いていた。)。
 『悪の華』が描く、澱んだ反知性主義に塗れた世界はどれほどの広がりをもっているのだろう。電車のなかで、高校生らしき女の子たちが「あの人、頭のいい人だからさ〜」「あぁ〜」という会話を、蔑むようなイントネーションで交わしているのを聞いたことがあるが、押見が描くようにそういうノリが主流なのだろうか。先日紹介した浅野さんの本を読めばそのあたりがわかるのかもしれない。ヤンキー社会とか、橋本徹の巧みな反知性主義とか、そいういう話に通じる現実は、どれだけ蔓延しているのだろう。

 それはともかく、作者の魅力的な女の子を造形する能力は異常だ。この巻で終わってくれと言う心の叫びとは裏腹に、主人公が次はどんな美少女と遭遇し、右往左往させられるのか、(としまえんの「ミステリー・ゾーン」の扉が次々と開かれていくように)何度でも見せてくれという欲望も隠しきれないことをここに書きとめておく。

浅野智彦『「若者」とは誰か:アイデンティティの30年』

 

「若者」とは誰か: アイデンティティの30年 (河出ブックス 61)「若者」とは誰か: アイデンティティの30年 (河出ブックス 61)
浅野 智彦

河出書房新社 2013-08-13
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 卒論や修論(!)を書いている学生がしばしば「アイデンティティ」という言葉を使うのだが、「それはどういう意味?」と質問して、まともな答えが返ってきたためしがない。ある4年生などは、それをきっかけに、「アイデンティティ」を分析概念として振り回すのをやめ、卒論のテーマまで変えてしまった(こういう人を「地頭がいい」というのだ)。「アイデンティティ」は便利な言葉だが、当然のことながら、この言葉が便利である(と見える)という状況をも問いの対象とする、という多元的な視点がなければ、とうてい有効に使いこなすことはできない。
 本書は第1章でまさに「アイデンティティ」についてこうした二重の反省的検討を行うところから話を始めている。まずはここだけでも、「アイデンティティ」とか「文化」とか言っているゼミ生たちに読ませなくては。それ以降の本論はまだ読んでいないが、「コミュニケーション」や「オタク」をキーワードにする卒論が定常的に多発している昨今、本書全体も必読文献として推薦する機会が多くなりそうだ。(もっともワタクシは来年度はサバティカルですけどね♪)

鈴木晃仁(編)深津武馬、市野川容孝(著)『【対話】共生 (極東証券学術講座 生命の教養学VIII』

【対話】共生:生命の教養学VIII (慶應義塾大学教養研究センター極東証券寄附講座―生命の教養学)【対話】共生:生命の教養学VIII (慶應義塾大学教養研究センター極東証券寄附講座―生命の教養学)
慶應義塾大学教養研究センター 鈴木 晃仁 深津 武馬 市野川 容孝

慶應義塾大学出版会 2013-08-11
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 慶応大での極東証券による寄付講座の記録。後半の市野川による講義録だけざっと目を通したが、生物学と社会学における「共生」概念の違いから始まって、遺伝子診断、出生前診断、ナチズム、尊厳死安楽死という4つのテーマに即して、ありうべき「共生」――市野川は昨今しばしば軽薄に用いられることもあるこの日本語を、イヴァン・イリイチのconvivialityに由来するものととらえている――を、きわめて平易な語り口で論じている。小生が秋学期に担当する「生命の社会学」の必読参考文献としたい。いや、いっそ教科書でもいいかな。

西阪・早野・須永・黒嶋・岩田『共感の技法:福島県における足湯ボランティアの会話分析』

共感の技法: 福島県における足湯ボランティアの会話分析共感の技法: 福島県における足湯ボランティアの会話分析
西阪 仰 早野 薫 須永 将史 黒嶋 智美 岩田 夏穂

勁草書房 2013-07-31
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 副題に明示された通りの内容。調査(と、あえて表現しておきたい)は現在も継続中だが、ひとまずの区切りとしてまとめられた論文集だ。会話分析とは何をすることかについて知りたい読者に好適。と同時に、福島県の――間違っても「フクシマ」だの「FUKUSHIMA」だのではない――ある場所で何が起きているか、人びとがどのように生活しているかの断片を知るためにも貴重な文献であろう。

『スタートレック イントゥ・ダークネス』

 想像を遙かに超えた全編ドンパチ娯楽活劇であった。少しは休ませてくれよと言いたくなるくらいめまぐるしく濃密に展開するストーリーに、3Dを完全に消化した映像の文句なしの迫力。現実社会との対応という面から見ると、9.11以降の人類に降りかかったあらゆる災厄がパワーアップしつつ束になってカークを襲いまくり、人類の運命を背負ったカークが繰り返し決断を強いられる姿からは、他人事ではないという重みが伝わってくる。劇場(TOHOシネマズ六本木ヒルズ、スクリーン2)で観るために払ったお金の元は十分に取れたのだけれど……これは本当に「スタートレック」なのか?という疑問が、観ている間ずっと脳内をぐるぐるしていた。だいたい、あんな熱血漢のスポックなんて……。
 もっとも僕はオリジナルのTVシリーズと1979年の初代映画版が大好きで、80年代以降のTVシリーズも映画版もあんまり観ていないので、こんな違和感は、そういう恐竜のようなファンの戯言に過ぎないのかもしれない。ラストシーンのカークによる「憎悪と復讐の連鎖はやめましょう」(大意)という演説はどうにもとってつけた感じだが、でもそのゆるさが、かえって往年のスタートレックらしさをちょっぴり感じさせてくれたような気もするほどだ。
 でもなー、Wikiによると監督は『スタートレック』よりも『スターウォーズ』のファンだそうだけど、この内容ならやっぱりそういう映画として撮ればよかったんじゃないの、とどうしても思ってしまうね。何よりエンタープライズ号には、未知の領域を探索してほしい。観客としては、そこで戸惑ったり、身勝手な行動に走るカーク船長に突っ込みをいれまくる楽しみを奪わないでほしい。そういうわけで、初代映画版が久しぶりに観たくなった。

スター・トレックI/リマスター版スペシャル・コレクターズ・エディション [Blu-ray]スター・トレックI/リマスター版スペシャル・コレクターズ・エディション [Blu-ray]
ハロルド・リビングストン

パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン 2012-02-10
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 ところで、映画館に入る前に森ビル内のスタバで「チャイティーラテ」を飲んでたんだけど、このあいだニューヨークでさんざん飲みまくった味の印象がまだ残っていて、日本のやつは妙に薄く感じ、ちょっと損した気分がした。クリームも、アメリカではこれでもかというほどもっとたっぷり乗せてくれてたぞ!