平岡章夫『多極競合的人権理論の可能性:「自己決定権」批判の理論として』
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まだ全体をきちんと読んでいないので、議論の内容についての論評は差し控える。たぶん、こちらからの応答は、上の拙論を書いて以降じゅうぶんには前進させられていない自分自身の作業をここら辺でしっかり再発進させることによって果たすべきだろうし、本書の議論をそのための糧とさせてもらえればいいなと思う。
森岡正博『まんが 哲学入門――生きるって何だろう?』
まんが 哲学入門――生きるって何だろう? (講談社現代新書) 森岡 正博 寺田 にゃんこふ 講談社 2013-07-18 売り上げランキング : 6590 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
小松美彦『生権力の歴史』
生権力の歴史―脳死・尊厳死・人間の尊厳をめぐって 小松 美彦 青土社 2012-11 売り上げランキング : 308155 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
『ライフ・オブ・パイ――トラと漂流した227日』
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ただ観ている間ずっと、長期にわたって大海原を――しかも獰猛なベンガル・タイガーと一緒に――漂流し、ぎりぎりで生き延びるという冒険譚としては、あまりにも映像美が勝ち過ぎているんじゃないか、CGを駆使してファンタスティックな処理をしすぎているんじゃないか、という感もなくはなかった。文字通り死と隣り合わせの日々という生々しさがあまり伝わってこないことに不満を感じなくもなかった。途中からは、これはこういう映画で、子供にも安心して見せられるように作ってあるのだなと納得できたが、ちょっと微妙な違和感は残った。
ところが……最後の最後、救出された直後の若き主人公が保険会社の調査員に体験を語るシーン、そしてそれを現在の主人公が聞き手に再話する場面に至って、すべてが理解されるのだ! 人は物語を生きる、という真理はもはや自明と言ってよい。そこに、精神分析が――かどうかはわからないが、少なくともフロイトのいくつかのテキストが――生命を保ち続けている根拠があるだろう。もちろん、物語と現実はもちろん別のものだけれど(物語や夢こそが真の現実だ、などとは言えない)、人が現実を生きるためには、現実よりも現実的な物語がどうしても必要なことがある。それをこんなエンターテイメント映画で、これほど徹底したやり方で、しかもあくまでも批評的に再認識させられるとは、思ってもみなかった。心底びっくりした。
僕がこの映画を映画館で観そびれたのは、思ったよりも早く劇場公開が終わってしまったからで、あまりヒットしなかったようだが、たぶん宣伝が今ひとつだったのではないか。宣伝だけを見ていたときは、僕も、海洋冒険譚に絡めた猛獣との心温まる交流、みたいな漠然としたイメージしか持っていなかった。何人かの人が賞賛しているのを読むまでは、それほど気になる映画ではなかったのだ。ではどうすればよかったのか、と言われれば、僕にも名案はないのだが。
押見修造『悪の華』
昨晩、ようやく採点が終わり、あとは細かい点数調整だけになったので、調子に乗って話題の『悪の華』をkindleで大人買いし、8巻まで一気読み。おかげで激しい眼精疲労に見舞われ、夜中に頭痛で目が覚めてしまった。いいトシをして阿呆過ぎる。胃を守るために少し牛乳を飲んでからノーシンを1錠だけ飲んで、1時間ぐらいするとどうにかまた眠ることができた。
そして朝はクロネコヤマトの人が鳴らす呼び鈴に素早く反応し、飛び起きる。持ってきてくれたのはセミアコ用のギターケース。これでRickenbacker330を持ち出せるようになったぜ。次回のS君とのスタジオ練習にはこれを持って行く。
さて『悪の華』、これはなんというか、どう評価すればよいのか正直わからないです。人間心理の分析の繊細さ・深さや、その背景への眼力において、作者が衝撃を影響を受けたと書いている『さくらの唄』(安達哲)のような名作には及ぶべくもないことは明らかだ。『さくらの唄』が浮かび上がらせたバブル景気という得体の知れない怪物(=社会)はほぼ全く描かれていない。これがセカイ系というやつなのだろうか? 学校にも家庭にもとりたてて問題はなく、登場人物たちが何にそんなに苛立っているのかがわからない。たぶんそれが「普通の子がいきなりキレる現代社会」というものを反映しているのだろうし、僕が(この点に関しては)トシ相応に、すでに思春期を遠く過ぎてしまったからわからないだけかもしれない。地方出身者ならまた違う感想をもつのかな。まあとにかく、僕としては、それほど大したマンガではないと思った。
ではつまらないのかというと、そういうわけでもないのが微妙だ。ついつい頭痛に襲われるまで目が離せなかったぐらいなのだから。オヤジ読者としては、作者が登場人物たちとともに少しずつ成長していくのを感じて気になってしまうというのもあるが、結局のところ現時点で本作の魅力の8割以上は、絵柄のかわいさにあるのではないか。もし仲村さんや佐伯さんがあれほどに魅力的に描かれていなかったら、これほど先が読みたいと思えるだろうか。だいたい、主人公の少年はお定まりの自意識過剰で悶々としつづけるが、文学かぶれという異質性に魅力を嗅ぎつけた美少女たちが次々に彼に絡んできて翻弄する、これは(本人はつらいつらいと言うのだが)どう見ても一種の「男の夢」ストーリーではないか。
そういうわけで、マゾ気味の男に都合の良い美少女キャラが絡んでくれる変形「男の夢」もののままで終わるのか(いやそれがダメってわけじゃないが)、それとも高校生編に入って主人公たちが本格的に堕落を深めていくのか、なんだか妙に怖い美少女・佐伯さんは今後何をしでかしてくれるのか、やはり今後も目を離せない、と思ってしまったのであった。
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ナーヴ・カッツェ『OyZaC』
今日も今日とて、おウチで採点。BGMはこれ、ナーヴ・カッツェのアナログ盤だ。なぜか写真がタテに表示されてしまう(元データはちゃんとヨコになっている)ので不格好だが、どう直せばよいのかわからんのでこのままにしておく。帯にファーストアルバムとあるが、この前に12インチシングルがあったらしい。両者を合わせたCDは持っていて、20年来愛聴しているが、『OyZaC』だけを独立して、しかもLPで聴くのは初めて。レーベルに「見本盤」と書いてある。
当時の「和製ポリス」という異名は伊達ではなく、分析的に聴けば、少なく緻密に選び抜かれた音でソリッドな空間を構築する音作り、ポップな中にもひと捻りされたメロディ、とても具体的な題材を扱っているのに(たとえば「入浴」など)夢幻的な歌詞など、『シンクロニシティ』のポリスに共通する要素が確かにある。しかし全体として生み出された音楽は圧倒的にナーヴ・カッツェだけの妖しい色彩に輝くものだ。
1989年頃だっただろうか、たしか渋谷エッグマンで彼女たちのライヴを見たことがある。小柄な女性スリーピースバンドの、あまりに演奏のうまさにぶっ飛んだ。飯村直子さんの指がストラトのメイプル指板を走る光景を鮮明に覚えている。
それ以降、『歓喜』(これも名盤)でメジャーデビューし、何枚かのアルバムを作ったが、ドラマーの脱退、アコースティックからさらにはテクノへとサウンド・デザインのドラスティックな変貌を経て、90年代末には活動を停止してしまったようだ。彼女たちがもっとタフに新曲を作り続け、活動し続けていたらどうだっただろうか、と時おり考える。チャットモンチーの人が、ねごとを評して、「ガールズバンドの救世主」と言っていたが、ナーヴが現在もしぶとく活動し続けていたら、もしかしたら救世主など不要だったかもしれない、と夢想する。
ゆらゆら帝国『な・ま・し・び・れ・な・ま・め・ま・い』
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ともあれ、採点中の精神状態を正気に保つには、それ相応のBGMが不可欠だ。この、ゆらゆら帝国の2003年のライブ盤こそは、それに見合う数少ない一枚。この美しさに到達するには、これほどに激しく歪んだギターが、どうしても必要だった。