ザ・ハイロウズ以後

 1980年、ブルース・スプリングスティーンの新譜『ザ・リバー』を、胸を高鳴らせながら毎日繰り返し聴いていた高校生の僕は、「1980」という新しい数字に、根拠もなく未来への希望を感じる、(いま以上の)ただの能天気野郎だった。けれども、それから10年後、1990年という新しい年代を迎えた僕を待っていたのは、かつて思い描いたのとはまるで異なる、グロテスクな光景だった。何が間違っていたのだろう――世界の現実そのものが「間違い」、僕の期待もまた「間違い」だったという、二重の意味で。その転換点には1985年のプラザ合意があり、そこからはじまるバブル景気があった。J・ラカンは「日本人は無意識を持たない」とのたまったが、それでもそれなりにあった抑圧の一切がそのときに解かれ、ぐずぐずの欲望が一気に噴出し、垂れ流されたように感じていた。1985年という時点は実際に多くのことの明瞭な転換点だったと思う。経済指標だけでなく、いくつかの意識調査も、そのことを示唆している。たとえば、「親の老後の面倒を子供がみるのは当然」という選択肢を選ぶ人の割合は、1985年を境に、ほとんどデータを捏造したのではないかと思えるほど、きれいに減少していく。同じようなパターンを、数多くの指標に見出すことができる。たぶんその頃に、人びとの時間意識、あるいは未来への感覚が急速に変貌しはじめたのだ。もしも「希望格差社会」といった時代診断が当を得ているとすれば、それは1980年代の半ばにはすでに予兆が見えていたことの帰結であろう。
 ザ・ブルーハーツが登場したのは、ある日晩飯を食っている家族の居間にいきなりダンプカーが突っ込む、そんな時代の只中だった。「気が狂いそう」と歌い始めたその歌を、少年少女に向けた「がんばれ!」という叫びで締めくくる甲本ヒロトのその振幅は、<もっと堕ちよ>、<もっと深く絶望せよ>という呼びかけに、誰よりも忠実に応えているように思えた。やがて日本政府が初の海外派兵に踏み切る頃、ブルーハーツの実質的なラスト・アルバムで「君ちょっと行ってくれないか/すてごまになってくれないか/いざこざに巻き込まれて死んでくれないか」(「すてごま」)と吐き捨て、同時に対になるもう一枚のアルバムでは「はっきりさせなくてもいい/あやふやなまんまでいい/僕たちはなんとなく幸せになるんだ」(「夕暮れ」)と静かに歌うまで、甲本ヒロトはその振幅を保ち続けていた。その高速振動ゆえに、だから彼はいつも同じ中間地点に止まっているようにさえ見えたのだ。

 ザ・ハイロウズが10年やって解散して、甲本ヒロトは直ちにソロ・シングル「天国育ち/真夏のストレート」をリリースすることを発表したけれど、真島昌利の次のアクションは聞こえてこない。たぶん、しばらくは目立った活動をしないつもりなのかもしれない。意外な感じもする。ザ・ブルーハーツが解散したとき、当分のんびりしようと思っていたヒロトマーシーが声をかけて、新しいバンドをやろうと誘った、それがハイロウズになったのだが、そのときヒロトは最初は迷ったのだと、雑誌のインタビューで言っていた。こいつといっしょにやるってことは、のんびりどころか、全開でやらなきゃならないってことだから、と。真島君――と、知り合いでもないのに、しかも相手が年上なのに、気持ち悪く「くん」づけで呼ばせてもらうが――は働きものなのである。自ら「働いて働いてまた働く」(「ガタガタゴー」)という歌を歌っているぐらいだし。
 でも一方では、なんとなくわかる気もする。1994年の『人にはそれぞれ事情がある』以来、彼はソロアルバムを出していない。それは、この十年間を、ハイロウズだけに注ぎ込んできたということだ。ただし、ソロを休んでハイロウズに専念したというより、ハイロウズにおいてマーシーは、ソロと区別しないですむような活動をしてきたのだと思う。僕はハイロウズブルーハーツほどには聴かず、愛することもしなかったが、それでも「モンシロチョウ」で彼が達した高み、というのは不適切だな、むしろ石川啄木の「痛む歯を押さえつつ/朝靄の中に/赤い日ののぼるを見たり」(←うろ覚え)に近い<地面感>に震撼し、尻に火をつけられたように感じたものだ。真正な苛立ちがこれほど痛々しいものだということを、僕はこの曲によって初めて教えられた。

真島昌利の4枚のソロ・アルバムは僕の「宝物」だ。この言葉に、こんなにしっくりする所有物を、僕はほかに持っていない。ロックンロールを愛するすべての人に聴いてほしいのだが、残念なことに、草野マサムネをして涙をこぼさせた究極のセンチメンタリズムを湛えたファーストアルバム『夏のぬけがら』(1989)と、<バカボンのパパ>へのオマージュをモチーフに、「ガソリン・アレイ」浅川マキバージョンのカバーが胸をえぐるセカンドアルバム『HAPPY SONGS』(1991)はかろうじて入手可能であるものの、残りの2枚は廃盤状態になっているようだ。ということは、『RAW LIFE』(1992)に収められた、シャンソンの金子マリとのデュエットが永遠のように鳴り続ける名曲「こんなもんじゃない」を、遅れてやってきた少年少女たちは、聴くことができないということではないか!

 ザ・ハイロウズの10年間を、僕自身は世界に対して積極的な希望も抱くことはできずに、ただ戸惑って、いやむしろ狼狽して過ごしていたように思う。たぶんこれからもそれは変わらないだろう。真島昌利はどうだろうか? 僕は彼の新しい歌を、すぐにでなくてかまわない、いつか必ず、また聴きたい。

たしかに本当に見えたものが 一般論にすりかえられる
たしかに輝いて見えたものが ただのキレイゴトに変わる
真島昌利「こんなもんじゃない」)