冬ソナ

 先日、『週刊読書人』だったか『図書新聞』だったかで、一面が「冬ソナ」現象の特集で、二人の批評家(お名前は失念しました)が「左翼が冬ソナに言及するときに、侮蔑的な姿勢が目立つのが気になる」という指摘でうなずきあっていた。そうなのか。何を隠そう(別に隠していないが)、私は「冬ソナ」が大好きである。いや、けっこうハマリました。チェジウは綺麗だし、ヨン様の顔や演技もかなり好きだ。彼には目ヂカラがある。ストーリーは、まあたしかに突っ込みどころ満載だと思うけど、それを言ったら手塚治虫のマンガなんか辻褄の合わないところだらけだし、でもそういう面を含めても全体として高く評価できるわけで、TVの恋愛ドラマがそんなに緻密にできていなくてもいいんじゃないかな。韓国のドラマは日本の週刊誌の連載マンガと同じように、視聴者の反響に応じて展開をどんどん変えていくって言うし。
 僕は物心着いたときから少女マンガを愛読してきたが(最近はさすがに時間がないが)、萩尾望都に代表される高尚な作品、ひねった作品は単行本で読み、雑誌は集英社の『りぼん』『週マ』『別マ』を愛読していた。「普通の少女マンガ」が好きだったのだ。とりわけ、『愛のアランフェス』を頂点とする、ひっそりと暗い情熱に満ちたスポーツ&恋愛ものを描いていた若き槇村さとるのファンだった。いまにも消え入りそうな線で子供が「死」に触れる瞬間を描いた岩館真理子の傑作『4月の庭の子供たち』は深く心に刻まれているし、ひたすらかわいい陸奥A子や萩岩睦美の作品も大好きだった。少女マンガなのだから少女趣味でいいのだ。それが王道なのだ。先天性の少女脳の持ち主であるワタクシは、いまでもヒマさえあれば(ないけど)、学園ラブコメを現役で読めるぞ。数年前にアメリカにいたときは、知人の当時9歳の娘さんが『りぼん』を貸してくれて、ツーカーで盛り上がったぞ。
 そんな私に、日本ではもうなかなか出会えない、ましてやヒネまくったTVドラマでは決して見ることのできない「普通の少女マンガ」を久しぶりに堪能させてくれたのが「冬ソナ」だったのだ。ヨン様には、「アンソニー」や「伊集院少尉」の風情があるよね。